「女形」と「人形(ひとがた)」(人間として生きるということ その3)

「声も仕草も色っぽかったー。」
「やっぺし、えぇ女だわ 。」
「すごくきれい。」

大衆演劇の天才女形として活躍する、早乙女太一を見た人の感想。

女形は男性が女性を演じるもので、衣装や声色・動作だけで女性らしさを表現する役者。むろん普通の男性よりは見た目も中性っぽくて、きれいなのは当然なのだけれど、注目すべきは、女性以上に女性らしい立ち振る舞いを行うことで、本当の女性だと錯覚させてしまうことにある。

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だけど、いくら女性だと錯覚したところで、女形を不気味とまで思う人は少ないと思う。

なぜかといえば、どうみても女性そのものにしかみえないけれど、本当は男性の役者であって、女性を演じているだけなのだ、という認識が見ている人にあるから。

つまり、女性にしかみえない存在だけれど、実は男性の役者なのだというアイデンティティが、女形と見る人の双方に成立している。それが安心感を生んでいる。

だから、もし不気味の谷というものがあるとするならば、それはアイデンティティの不明確さという問題に帰着してゆくのだと思う。「あなたは一体誰なのだ。」という問い。

なにか得体の知れないものが目の前に現れたとき、それを不気味に思うし、時には恐怖心すら引き起こす。何かわけの分からない存在が自分に危害を及ぼすかもしれないという恐れの感情が芽生える。

いきなりグレイのような、奇怪な宇宙人が目の前に立っていたとしたら、多くの人は、怖くなって立ちすくむか、大声で叫ぶだろう。得体の知れないものは不気味に感じるもの。本能的な自己防衛本能がはたらくから。

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※ロボットのくせに風邪をひくドラえもん。あったかくして寝ようという人間と同じ所作をしている。

本物そっくりの作り物と、作り物だけど本物っぽい存在。どちらに親しみを感じるかといえば、おそらく後者。

それは、丁度、愛知万博のアクトロイドとドラえもんの差に等しい。

前者は作り物だから中身、すなわち心がないのに本物の振りをしている。後者は、自分はロボットであって、作り物だという自己認識を宣言した上で、本物の所作をしている。前者にはアイデンティティがなく、後者にはある。その違いが不気味と親近感の差を生む。

人は見た目だけじゃなくて、おそらくその対象のアイデンティティまでも含めて認知できて、ようやく受け入れる。

確かにアクトロイドは人間そっくりだった。だけどその目に光は宿っていなかった。目は心の窓というけれど、結構、真実を突いている。

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