哲学がわかりにくいのは、難解な表現や、そもそも意味の分からない単語が沢山あるから。
[Asagi's photo]より
哲学って抽象概念をよく扱う。目にみえなくて、形もないから五感で感知できないものがほとんど。直覚的に捉えられない。
哲学者は、思索の果てに、新しい概念を発見する。それは、数式のように思考のプロセスをたどっていけるもの。あるいは、電子回路のように思考を回路化したもの。時としてその回路規模はとてつもなく巨大になったりもする。
だけど、やっとたどり着いたその巨大な概念を、そのままの長大な思考の演算式のままで扱うのは大変。だから、使いやすいように自分でその概念を一言で表す言葉を造語して、コンパクトな単語レベルの記号に置き換える。
だけど、そうやって造語した単語は、生まれたばかりのマイナーなもの。他の多くの人が知っているわけじゃない。その単語の中にはぎっしりと思考の論理回路が詰まっているのだけど、造語された単語を始めてみた人には、その中の回路は読めない。
また哲学って結構厳密。客観性が求められるから、思考の演算式そのものにも拘る。式の「項」にあたる単語そのものに複数の意味があるなんてとんでもない。だから単語に修飾語をいっぱいくっつけて、限定条件を付加していって「項」をただひとつの意味にまで絞り込んでゆく。
だから哲学の文章には、マイナーなコンテクストを要求するような特定概念を示す造語が沢山あって、さらに修飾語がいっぱいくっついたような構成になってしまう。読みやすいわけがない。


この記事へのコメント
美月(深森の帝國)
※造語方面で、代表的な人が西周(にし・あまね)ですね。
仮に幕末~明治の頃の教育環境が、現代のようなゆとり教育方式だった場合、果たして当時の西洋知識の急速な流入&洪水を乗り切れたのかどうか…(汗)
未だにちょっと難しい言葉が入ると七転八倒だったりするので、昔の人たちの努力には感動してしまいます。
日比野