哲学の文章(思考と伝達について その9)

文章もジャンルによっては、難解なものがある。たとえば哲学書なんかの類(たぐい)。

哲学がわかりにくいのは、難解な表現や、そもそも意味の分からない単語が沢山あるから。

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[Asagi's photo]より


哲学って抽象概念をよく扱う。目にみえなくて、形もないから五感で感知できないものがほとんど。直覚的に捉えられない。

哲学者は、思索の果てに、新しい概念を発見する。それは、数式のように思考のプロセスをたどっていけるもの。あるいは、電子回路のように思考を回路化したもの。時としてその回路規模はとてつもなく巨大になったりもする。

だけど、やっとたどり着いたその巨大な概念を、そのままの長大な思考の演算式のままで扱うのは大変。だから、使いやすいように自分でその概念を一言で表す言葉を造語して、コンパクトな単語レベルの記号に置き換える。

だけど、そうやって造語した単語は、生まれたばかりのマイナーなもの。他の多くの人が知っているわけじゃない。その単語の中にはぎっしりと思考の論理回路が詰まっているのだけど、造語された単語を始めてみた人には、その中の回路は読めない。

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また哲学って結構厳密。客観性が求められるから、思考の演算式そのものにも拘る。式の「項」にあたる単語そのものに複数の意味があるなんてとんでもない。だから単語に修飾語をいっぱいくっつけて、限定条件を付加していって「項」をただひとつの意味にまで絞り込んでゆく。

だから哲学の文章には、マイナーなコンテクストを要求するような特定概念を示す造語が沢山あって、さらに修飾語がいっぱいくっついたような構成になってしまう。読みやすいわけがない。

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思考と伝達について その2「指向性と置換性」
思考と伝達について その3「文字記号」
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思考と伝達について その7「概念の伝達」
思考と伝達について その8「ソムリエの表現能力」
思考と伝達について その9「哲学の文章」
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