ソムリエの表現能力(思考と伝達について その8)

「子供の頃、近所のおばあさんの家に入り浸ってたことがあるんだけど、その時にごちそうになった、干し柿を思い出した。」

人気漫画「神の雫」で、フランスワインのジゴンダスを口にしたときのセリフ。

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ソムリエは、嗅覚や味覚情報を的確な文字情報に変換できる名人。本人しか体験できないワインの味と香りをさまざまな表現を駆使して記号化する。

香りや味を表現するために、他の皆が知っているものに置き換えて表現する。飲んだ本人しか分からない感覚を、他の多くの人が持っているであろうコンテクストに置換することで色や味や香りを伝える。

色なら、黄金色や琥珀色。香りであれば、グレープフルーツやシナモンの香りとか。

それでも、シナモンの香りと表現したワインの香りは、本物のシナモンの香りと100%イコールという訳じゃない。

だけど、実際に味わったことのない人に伝えようと思うと、多少情報が劣化したとしても多くの人が知っている記号に置き換えたほうが伝わり易いのは明らか。

同じように、文章でも、少数の人しか理解できない難解な概念を多くの人に伝えようとしたら、多くの人が共通して持っているであろう別の記号に置き換えなくちゃならない。

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だけど、何かの記号に置き換たとしても、そのコンテクストを持っていない人には、その表現では伝わらない。ベルガモットの匂いをかいだことのない人にベルガモットの香りといってもわからない。そんなときは、まったく別の表現を使って伝えようとするもの。

だから同じ対象をあらゆる角度からみて、言葉を重ねて表現することは、より多くの人に伝えるためには大切なこと。もちろん誰でも知っていて端的に全てを表現できる言葉があればいいけれど、そんな都合の良い言葉なんてそうそうあるもんじゃない。自分で作らない限り。

ソムリエの表現能力って、自分の五感で捉えたものを、一般大衆が共通して持っているコンテクストに巧みに変換できる能力といっていい。似たような能力は文学者や小説家にもある。

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本シリーズエントリー記事一覧
思考と伝達について その1「知性と五感」
思考と伝達について その2「指向性と置換性」
思考と伝達について その3「文字記号」
思考と伝達について その4「日本語は論理的か」
思考と伝達について その5「日本語の表現」
思考と伝達について その6「会話におけるキャラ設定」
思考と伝達について その7「概念の伝達」
思考と伝達について その8「ソムリエの表現能力」
思考と伝達について その9「哲学の文章」
思考と伝達について その10「たとえ話の利点と欠点」
思考と伝達について 最終回「菩提と救済」