概念の伝達(思考と伝達について その7)

日本語は場や状況設定を行う、すなわち思考の演算式をどのページに書くかといった初期設定を決めてしまえば、言葉をどんどん省略しても会話が成立する。

昨日のエントリーでいえば、10人おのおののキャラの思考の演算式は10枚の紙にそれぞれ独立して書き込まれる。

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[Asagi's photo]より


読み手は主語がなくても、文章表現で何ページの演算式かを読み取って、主語を補う。結構複雑で柔軟な思考プロセス。

肝心な場や状況設定を文章で行うときは、しっかりと描写して書き込んでいかないといけないのだけれど、いくら書き込んだところで、文字情報はあくまで記号。

だから、それを受け取った側は自分のコンテクストを元にして逆変換を行うから、発信側が元々持っていたイメージが変容してしまう危険から逃れることはできない。

情と意の翻訳と相互理解」でも触れたけれど、そういった変容を最小限にするのにテレビをはじめとする映像メディアがある。映像情報は発信側のイメージをそのまま伝える。記号としての要素がないから受け手側も視覚と聴覚でとらえた映像情報を記号から逆変換する必要がない。

映像情報では受け手のコンテクストに依存した変容がおこらない。だから不特定多数の相手に、ほとんど同じイメージ情報を同時にかつ変容させずに伝えることができる。これが映像メディアが持つ印象操作の力が強い理由。

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そんな映像情報にも弱点はある。香りと味と手触りと抽象概念がそれ。これらはまだダイレクトに伝送できない。

料理番組をみても、その料理の香りはしないし、味もわからない。湯気が立っているのをみて、温かそうだとはわかっても、どれくらい熱いのかまではわからない。

映像は形やイメージを伝えることができるけれど、逆にいえば、世の中に存在する形あるものしか映像化できない。抽象概念は目に見える形がないからお手上げ。

だから、嗅覚、触覚と味覚情報や、抽象概念をその場にいない人に伝えようとしたら、やはり一旦記号に変換してから伝えるしかない。

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本シリーズエントリー記事一覧
思考と伝達について その1「知性と五感」
思考と伝達について その2「指向性と置換性」
思考と伝達について その3「文字記号」
思考と伝達について その4「日本語は論理的か」
思考と伝達について その5「日本語の表現」
思考と伝達について その6「会話におけるキャラ設定」
思考と伝達について その7「概念の伝達」
思考と伝達について その8「ソムリエの表現能力」
思考と伝達について その9「哲学の文章」
思考と伝達について その10「たとえ話の利点と欠点」
思考と伝達について 最終回「菩提と救済」