昨日のエントリーでいえば、10人おのおののキャラの思考の演算式は10枚の紙にそれぞれ独立して書き込まれる。
[Asagi's photo]より
読み手は主語がなくても、文章表現で何ページの演算式かを読み取って、主語を補う。結構複雑で柔軟な思考プロセス。
肝心な場や状況設定を文章で行うときは、しっかりと描写して書き込んでいかないといけないのだけれど、いくら書き込んだところで、文字情報はあくまで記号。
だから、それを受け取った側は自分のコンテクストを元にして逆変換を行うから、発信側が元々持っていたイメージが変容してしまう危険から逃れることはできない。
「情と意の翻訳と相互理解」でも触れたけれど、そういった変容を最小限にするのにテレビをはじめとする映像メディアがある。映像情報は発信側のイメージをそのまま伝える。記号としての要素がないから受け手側も視覚と聴覚でとらえた映像情報を記号から逆変換する必要がない。
映像情報では受け手のコンテクストに依存した変容がおこらない。だから不特定多数の相手に、ほとんど同じイメージ情報を同時にかつ変容させずに伝えることができる。これが映像メディアが持つ印象操作の力が強い理由。
そんな映像情報にも弱点はある。香りと味と手触りと抽象概念がそれ。これらはまだダイレクトに伝送できない。
料理番組をみても、その料理の香りはしないし、味もわからない。湯気が立っているのをみて、温かそうだとはわかっても、どれくらい熱いのかまではわからない。
映像は形やイメージを伝えることができるけれど、逆にいえば、世の中に存在する形あるものしか映像化できない。抽象概念は目に見える形がないからお手上げ。
だから、嗅覚、触覚と味覚情報や、抽象概念をその場にいない人に伝えようとしたら、やはり一旦記号に変換してから伝えるしかない。


この記事へのコメント
日比野
映像情報における、コンテクストに基づいた変容がおこらない、というくだりは、対象を認知するレベルにおいて、変容しない、という意味であって、認知したそれをどういう意味付けしていくかといった、認識においては、受け取る側の価値観やコンテクストによって、意味の強弱はつきます。メディアリテラシーの高い人に印象操作がかけにくい理由と同じです。
わかりにくい表現でした。補足させていただきます。