日本語の表現(思考と伝達について その5)

論理的でない文章ってなにかというと、数式におきかえて考えてみると、「項」に複数の意味があって、どの意味なのか特定できないとか、「項」と「項」を繋ぐ演算式が間違っていて、どう計算してもその答えにはならないとき。矛盾した文章。

前者は表現の曖昧さにつながり、後者は論理が飛躍しすぎていると言われる。

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表現が曖昧になるというのは、項である主語や目的語になっている単語に複数の意味があって、文脈からどの意味で使っているのか特定できないとき。特定するためには修飾語で補って、前提条件や仮定条件、さらには限定条件をつけて特定しないといけない。

日本語の特徴として、よく主語が省略されるけれど、それは主語で示される概念の「項」が抜けていることを必ずしも意味しない。項が抜けたら思考の演算式は綴れない。

日本語における主語って場や状況で規定される。文脈とか、語尾変化だとか、敬語表現だとか。

日本語には男言葉や女言葉があって、全く主語を抜かしても誰が喋っているのか大よそ分かるようになっている。昔ならさらに武家言葉とか町人言葉というのもあった。

さらに語尾変化、いわゆる動詞で、相手に問いかけているのか、自分が話しているのか区別したり、敬語表現で彼我の関係も表現できる。

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日本語はよく、動詞の中に主語が含まれているとか、動く虫の視点だ、とか言われるけれど、言葉の論理演算式を綴っていく視点でみると、多分それぞれの思考の演算式を書くページを分けているのだと思う。

たとえば人物Aの言葉を1ページ目に書いたら、人物Bの言葉は2ページ目に書くという具合に、暗黙の了解を作って、文章を綴る。だからわざわざ主語をつける必要がない。その人物専用の個人ページを用意する。

同じページに複数の人物の会話を載せると、いちいち誰々といった主語をつけないと分からないのだけど、日本語、特に日本語での会話表現だと、最初の状況、場面設定さえきっちり設定できれば、あとは主語無しでも誰が話したのか表現できる。なぜかといえば、主語以外の文章に人物属性や互いの関係を書き込めるから。

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思考と伝達について その2「指向性と置換性」
思考と伝達について その3「文字記号」
思考と伝達について その4「日本語は論理的か」
思考と伝達について その5「日本語の表現」
思考と伝達について その6「会話におけるキャラ設定」
思考と伝達について その7「概念の伝達」
思考と伝達について その8「ソムリエの表現能力」
思考と伝達について その9「哲学の文章」
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