日本語は論理的か(思考と伝達について その4)

よく日本語は外国語と比べて論理的でないとか、いやそうでもないとかいった議論がある。

論理って、前提と結論とその間を結ぶ理由の塊のこと。その塊が連鎖したものが文章。

だから、前提と結論と理由をきちんと記述することさえできれば、それは論理的な言語ということになる。

その意味で最も厳密な言語はおそらく数学。

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[Asagi's photo]より


前提は何々と定義して、その前提を足したり引いたりして、ひとつの結論を導き出す。その論証過程は数式として残される。

これを言語に当てはめてみれば、個々の前提や結論を示す「項」にあたる部分が主語や目的語。「演算式」にあたるものが述語。「仮定条件」や「限定条件」を示すものが修飾語になるだろう。

だから論理的でない言語というものがあるとするのなら、それは、前提となる概念や結論をどう頑張っても記述できないとか、足したり引いたりする、いわば演算式にあたる概念を表す単語がない言語ということになる。

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[Asagi's photo]より


もし、主語や目的語、述語が存在しないとか、主語なら主語だけしかなくて、述語がない言語があったとしたら、その言語では論理は作れないことになる。だけど日本語には主語も述語もみんなきちんとあるし、抽象概念を表す名詞や動作・作用を表す動詞もちゃんとある。

だから、日本語に対して、論理的でないというときは、書いた文章の内容が論理的でないというだけであって、日本語自体が論理的でないというわけじゃない。

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本シリーズエントリー記事一覧
思考と伝達について その1「知性と五感」
思考と伝達について その2「指向性と置換性」
思考と伝達について その3「文字記号」
思考と伝達について その4「日本語は論理的か」
思考と伝達について その5「日本語の表現」
思考と伝達について その6「会話におけるキャラ設定」
思考と伝達について その7「概念の伝達」
思考と伝達について その8「ソムリエの表現能力」
思考と伝達について その9「哲学の文章」
思考と伝達について その10「たとえ話の利点と欠点」
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