それら五感で検知できる、形あるものの中で、最も汎用性の高いものが文字を主体とする「記号」。
[Asagi's photo]より
特に不特定多数の人とコミュニケーションをとろうと思うと作品そのものより記号に変換した方がより多くの人に伝達できる。
なぜそんなに記号が使い勝手がいいかというと、記号は置換性と指向性が高いから。
芸術作品のような「形ある」ものは実際に現物を持ち運びしないと相手に見せたり聞かせたりできない。だれど記号や文字なんかは何にでも記録させられるし、持ち運びや伝達しやすい別の記号に変換してもOK。とても扱い易い。
たとえば、紙に記号や文字を沢山書いてなんらかの情報を記したとしても、紙なら折りたたんで小さくしてしまえる。また、電子データに変換・圧縮してCDROMかなんかに納めたりすれば、持ち運びも簡単。
文字・音声・画像データの他の記号への置き換えなんて、そこら中でやっている。テレビや電話などでは画像や音声といった、視覚・聴覚で検知できる情報を一旦、電気信号に置き換えて伝送して、また元に戻す処置をしている。糸電話ですら音声を糸の振動に変換して、相手先で逆変換してる。
この記号の持つ他の媒体への置換の容易性が、使い勝手の良さを保証してる。
記号は揮発しない。
香りや味や音は空気を媒介にして伝わるから、そのままだと拡散して薄まってしまう。香りを遠くの人に送りたいと思っても、手元の香りは相手には届かない。香りをカン詰にして送るか、相手に来てもらうしかない。美味しい料理だって同じ。基本的に長距離伝送には向かない。
昔は音声だってそうだった。CDやテープの無い時代は、名曲を聴きたければ、直接演奏を聴くしかなかった。音が記号化できたのは最近の話。音をデジタル化して、記号化してようやく、電話やラジオ・テレビなどの媒体に乗せることができるようになった。
普通の社会生活と違って、文化芸術活動におけるコミュニケーションって、だいたいは五感の一部を使って行われている。限定されたインターフェースでの交流からはまだまだ抜け出せていない。

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