知性と五感(思考と伝達について その1)

考えることと伝えることについて考えてみたい。全11回シリーズでエントリーする。

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[Asagi's photo]より


考えたことを誰かに伝えたりして交流することを、俗にコミュニケーションと呼ぶ。

コミュニケーションはラテン語の「communicatio」に由来していて「分かち合うこと」がその原義だといいう。

誰かとコミュニケーションするとき、何かの対象を分かち合うことが必要になるけれど、その前に、人は対象をどうやって認知しているかということについて整理してみる。

人間は外界とのインターフェースとして、いわゆる五感を持っている。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つ。

これら五感を通して、外界と接触している。

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[Asagi's photo]より

だから、何かの対象を人から人に伝えてコミュニケートするためには、その対象をこれら五感のどれかに置き換える必要がある。でないとその対象を発信も出来なければ、受信も出来ない。

何かを伝えたい人は、自分が伝えたいものを、目に見える形にしたり、音に変換したり、匂いや味や手触りに変換したりして、外部に発信してコミュニケートする。

自分の伝えたい何かって、そのときの自分の心のかたち。だから、その表現は知性の八つの種類のどれかによってなされていて、それをさらに自分自身の五感のどれかに変換して外部に送信する。

逆に、受け取る側は自分の五感で受信したものを、知性の八つの種類のどれかに変換して心のかたちとして受信する。

知性の八つの種類とそれらに対して主に使われる五感を対応させてみると、大体下記のような関係になると思う。 
        
1.言語的知性  :視覚・聴覚
2.絵画的知性  :視覚・触覚・(味覚)・(嗅覚)
3.空間的知性  :視覚・触覚
4.論理数学的知性:視覚   
5.音楽的知性  :聴覚
6.身体運動的知性:触覚・視覚
7.社会的知性  :五感全部
8.感情的知性  :五感全部

※身体の運動・表現行為は触覚として分類
※華道・料理といった表現は絵画的知性に分類

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この中で社会的知性や感情的知性といった、社会生活を営みや人間関係を保つ為の知性には五感全部を使う。なぜかといえば、生命維持の為。平たく言えば身の危険を避けるため。

毒ガスとか毒のある食べ物なんかは見た目では分からないし、音もない。怪我をしても痛くともなんともなければ放置してしまう。その怪我が元で死に至ってもその時まで分からない。

それに対して、社会的知性や感情的知性以外の知性、いわゆる主に文化芸術活動において使用される知性は必ずしも五感全部を必要としていない。

もちろん、華道や料理のように、自分の芸術性を香りや料理で表現することもあるし、それらの受信には、嗅覚や味覚を使うことになるのけれど、大抵の文化芸術活動は、視覚と触覚、聴覚あたりが中心。

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本シリーズエントリー記事一覧
思考と伝達について その1「知性と五感」
思考と伝達について その2「指向性と置換性」
思考と伝達について その3「文字記号」
思考と伝達について その4「日本語は論理的か」
思考と伝達について その5「日本語の表現」
思考と伝達について その6「会話におけるキャラ設定」
思考と伝達について その7「概念の伝達」
思考と伝達について その8「ソムリエの表現能力」
思考と伝達について その9「哲学の文章」
思考と伝達について その10「たとえ話の利点と欠点」
思考と伝達について 最終回「菩提と救済」