「やらない」と「させない」(中国産毒餃子事件について再考 その3)

福田総理はかつて、靖国参拝の是非について問われ、「相手の嫌がることはやらない。」と答えた。確かに今回の毒餃子事件について、中国に責を問うことは「相手の嫌がること」だろう。

だけど、日本国民にしてみたら、毒食品を無差別に食べされられるのはたまらない。中国産食材の輸入停止をしていない現状は、日本国民にとっても「嫌がること」

福田総理は中国の嫌がることと、日本国民の嫌がることの狭間で立ち往生の状態にある。

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以前「総理の一字」のエントリーで、福田総理の行動原理を表す一字は「安」ではないか、と言ったけれど、なにもやらなければ「安」を得られるのは当然。だけどやらなければ得られない「安」があることも忘れてはいけない。

今回の事件は明らかに、日本国民にとってやらなければ得られない「安」に直面している。

こうした国民の生命に関わる緊急事態に政府がきちんと対応できないのであれば、無政府状態と殆ど変わらない。

今回の問題について、日本国民がとれる自衛手段としては、中国をキーワードにして、中国の名のついた食品を避けること。危ないものは口にしない。

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だけど、鳥インフルエンザなんかの、空気感染するような疫病となると、感染者に接触するだけで危険にさらされる。だから、国内に感染者が出た時には、入出国の制限や感染者の即刻隔離などの処置が取れなければ大変な事態に陥ってしまう。

今回の毒餃子に対する対応で、各省庁の足並みがそろわないという報道もあったけれど、鳥インフルエンザが感染爆発するような事態になったら、足並みが揃わないなんて言っていられない。

国民を守るということひとつとっても、「やらない」ことで守れるものもあるけれど、「させない」ことでようやく守れるものもある。やらないことは楽だけど、させないことは大変面倒。でも危機が起こってから、やらなかったことを後悔しても、もう遅い。

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