世界一という意識の対立と背景のズレ (捕鯨問題について考える その6)

これまでに争われてきた捕鯨問題の争点はWikipediaによると下記7点となっている。

1.資源としてのクジラ
2.自然保護問題としてのクジラ
3.知的生物としてのクジラ
4.文化としての捕鯨
5.原住民生存捕鯨
6.ホエールウォッチングとの対立
7.人道的捕殺問題

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それぞれについての様々な意見はあるのだろうけれど、これを更につきつめてみると、鯨を資源(家畜)とみるか保護動物とみるかといった2点に集約されるように思う。1、4、5が資源とみる立場。2,3,6,7が保護動物とみる立場。

今の日本にとって、商業捕鯨の必要性は薄れている。普通のスーパーで鯨肉は手に入らない。日本が恐れるのは、その先の海洋資源、マグロとか鰯とかが漁獲禁止されること。

たぶん西洋人は、自分達の文明が世界一の文明だと考えているのだと思う。それは過去数百年をみれば、確かにそう。だけど、日本人も意識しているかどうか分からないけれど、食や食文化に関しては、おそらく自分達が世界一だろうと思っているのではないか。特に魚に関しては。

英紙デイリーテレグラフ東京特派員のコリン・ジョイス氏は、その著書で日本人の食に対する意識に触れ、こう語っている。



 日本人はよく「日本の料理はおいしいが、イギリスの料理はひどい」という(その口調にぼくはときに自惚れが混じっているように感じることもある)。

 これにはぼくは賛成できない(しかし普段は礼儀正しく控えめな日本人が、ことこの話題に関してはひどく無礼で慎みがなくなってしまうのはいったいどうしてなのだろう?)。 



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食文化については、世界一だと内心自負する日本と、文明で世界一だと思っている欧米の対立。お互い世界一と思っているので簡単には譲れない。でもそれぞれ世界一と思っている背景がズレているので、話は一向に噛み合うことがない。

例の動画で、日本国内でも人種差別まで指摘するのは行き過ぎだという声も上がっていたけれど、背景に背負っている意識のズレに起因する問題のようにも思える。

この問題を食文化レベルで捉えるか、種の選択と保護というレベルで捉えるかの違い。

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