民主国家と独裁国家におけるプロパガンダの違い (捕鯨問題について考える その5)

プロパガンダそのものの意味合いも、相手が民主国家か、独裁国家なのかで少し異なる。そのポイントは民意が反映されるかどうか。

民主国家では良くも悪くも民意が国策に反映する。だから民間レベルで反撃しても、相手国の民意がなるほどそうだ、と思えばやがて国政に影響してブレーキをかけることができる。また「反撃のルート」のエントリーでも言ったように、民間レベルと国レベルとの2つの反撃ルートがあるから、決定的対立になるまで時間を稼ぐことができる。

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だけど、独裁国家では、民意は決して国策に反映することはなくて、独裁階級の都合で決まる。いくら国民が戦争は嫌だと思っていても、独裁者の命令ひとつでそうなってしまう。

だからプロパガンダに対して、いくら民間レベルで相手の国民を説得したところで、あまり意味はない。

独裁国家にとってプロパガンダは便利な道具。プロパガンダの内容がどんなに無茶苦茶な内容であっても構わない。自国民がそれはおかしいのではないかと疑義をいくら呈したところで民意が国政に反映しないのだから、国民の意見など無いも同然。

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しかも独裁国家がプロパガンダを行うときは、最初から国レベルでの攻撃がほとんどだから、相手は最初から背水の陣。独裁国家相手のプロパガンダ戦では、相手が引くことは絶対ないと最初から覚悟しておいたほうがいいくらい。

だからこの場合は、相手の国民より、さらにその他大勢の「中立の」国々をどれだけ味方につけるかが、うんと大切になる。相手を孤立するように仕向けないと、独裁国家に対してプロパガンダ戦で勝利を収めるのはなかなか難しい。

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