反撃のルート (捕鯨問題について考える その4)

プロパガンダに対して反撃をするとき、民間レベルで行うのと国家レベルで行うのはその意味合いが多少異なる。民間レベルでの反撃は、いくら激しく対立したとしても、それは国家意思ではない、と逃げをうつことができる。決定的な対立になるまでに時間を稼げる。

国家レベルの抗議になると、後戻りが聞かない。国が対外的に過ちを認めた場合は謝罪と賠償がついて回る。

だから、戦争のように白黒はっきり付くものなら兎も角として、プロパガンダ戦で最初の段階から国が前面に出過ぎると、その他の面での影響が大きくなる。だから取り扱いに慎重になるのはある意味当然。

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国レベルでの抗議は局長級なり、外相会談なりで行えばいいけれど、ひとつの対立で、お互いのその他の利益を阻害することのないように配慮するのは国益からみてもごく普通の選択。

先ごろ、高村外相とスミス豪外相の電話会談があったけれど、その途中何度も、この捕鯨の問題という一事で良好な日豪関係を害するものではない、ということを繰り返しスミス豪外相が言って、全く同感であると答えたと高村外相も明かしている。

また、国レベルで抗議する場合、特に首脳レベルで行う場合はその表現にうんと気をつかうのも、また当然のこと。

従軍慰安婦に関して、米ニューズウィーク誌のインタビューに応じた、安倍前総理の回答も、「慰安婦の方々に人間として心から同情する。日本の首相として大変申し訳ないと思っている」と改めて謝罪しつつ、「20世紀は人権が世界各地で侵害された世紀で、日本にもその責任があり、例外ではない」と言って、そんなことをいうけれど、君達もやっているじゃないか、と暗にほのめかすことで、(同質内容で)反撃した。

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YOUTUBEの動画は確かにインパクトがあった。日本から発信されたたった10分たらずの動画で、オーストラリア中が大騒ぎになった。あまりの騒ぎにオーストラリア外相までコメントを出すほどに。しかもその動画は、何処の誰とも特定できない個人。決して国レベルじゃないという点がポイント。

国家意思としての対立は最後の最後での選択肢であるべき。国の意思決定の後ろには何もない。民間レベルでガヤガヤやっているうちに、国のレベルできちんと話し合って、折り合いをつけるのが一番平和なやり方。

今は日本が民間レベルでの反撃、オーストラリアが国中と政府が一部乗り出しているくらいの騒ぎ。早いうちに治めておかないと、今度はオーストラリアの方が後に引けなくなってしまう危険がある。

向こうから仕掛けてきた話じゃないか、と憤慨するのも結構だけれど、そのとおりにすると色々お互い困ったことになるから、うまくどこかで妥協するのも大人の対応。

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