日豪捕鯨問題 (捕鯨問題について考える その1)

南極海で日本の調査捕鯨船に米環境保護団体のメンバー2人が拘束された事件が起こった。今回は、捕鯨問題について考えてみたい。全10回シリーズでエントリーする。

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昨年11月のオーストラリア総選挙で、環境保護を掲げた労働党が圧勝した。労働党は「日本の調査捕鯨監視」を選挙公約に挙げており、もともと反捕鯨の強硬派。

オーストラリアでは、クジラ・ウオッチングが人気で、捕鯨反対の世論が根強いという。

中でも、過激な妨害行為を働くことで、今回クローズアップされたのがシーシェパード。

シーシェパードは、グリーンピースから分かれて1977年に設立した団体で、各国の捕鯨船や漁船に対し、体当たりなどで何隻もの船を沈めるほどの過激な行動から、環境テロと批判されることもある。

日本の調査捕鯨船もこれまで何度も妨害にあっていたけれど、ついに今回の事態に至った。

だけど、いきなりこのような事件が起こったわけじゃなくてその前哨戦となる戦いはずっと前から始まっていた。

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1982年の国際捕鯨委員会(IWC)での商業捕鯨の全面禁止の採択と87年からの施行以来、IWC科学小委員会による、いくつかの鯨類資源については持続可能な開発ができるという結論にも関わらず、反捕鯨キャンペーンは行われてきた。

中でも悪質なのは、1985年の日本航空ボイコットキャンペーンや、複数の自動車メーカに脅しをかけて、NGOに寄付させた事例、さらには、IWCで日本の立場を支持したという理由で、数カ国のカリブ海小島嶼国に対して観光ボイコットが行なわれた。

これらキャンペーンがあまりにも酷かったこともあって、1994年IWC会議では委員が加盟国への攻撃に対して抗議せざるを得ないまでになったという。

これらに対して、日本政府は主に、鯨を殺すなんて非人道的だ、という批判と、環境・動物福祉の議論のふたつに対して対応してきた。

前者に対しては、鯨をなるべく苦痛を与えない捕殺方法を調査し、いまではニワトリや豚を屠殺するよりも苦痛が少ないとされるペンスライト銛の使用に至っている。

また後者に対しては、IWCが1981年に、人々の文化的必要性に対応するために、「原住民生存捕鯨」という新しいカテゴリーを定義したのをきっかけとして、文化的多様性の保存を強調することによって、先住民や地域住民が自らの発展の道を自分で決める権利の主張をおこなってきた。

だけど、オーストラリアやニュージーランドなどの反捕鯨国は、資源量や捕獲の人道性にかかわらず、クジラはいかなる状況の下でも捕獲されるべきでないという立場をとっている。このような動物を殺すことは道徳的に間違っているのだ、と。

もはや捕鯨問題は、鯨からより広範な環境問題、動物の権利問題のシンボルに変えられてしまっていることは否めない。

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1月21日の毎日新聞にこんな記事があった。少し引用してみる。



  某国外交官はさらにこう語った。「捕鯨問題で国際社会での日本の印象は、バッドボーイ(反逆児)。これはどうしようもない実態だ」

  では、どうすれば状況を変えられるのか。「まず、日本の外交官がそれぞれ各国にきめ細かく説明することだ」

  その通り。捕鯨論争の主戦場は海外にある。日本外務省の力量が問われているのだ。



これまでの政府の努力を考えると、毎日新聞のように日本外務省の力量を問うのは多少気の毒な気もするけれど、プロパガンダに対する対応が甘かったということは言えると思う。

オーストラリア政府も昨年10月から、YOUTUBEを使って日本の子どもたち向けの反捕鯨キャンペーンを開始していた。

たとえそれが、相手のプロパガンダであったにせよ、こちらの言い分があるにせよ、説明不足は自分自身の責任であって、相手の責任じゃない。

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