縁起のレイヤーが結ぶ世界  《エピローグⅢ》 と 「こころの翻訳」

エピローグのⅢです。9章から最終回までのまとめです。文末に補追の3として、「こころの翻訳」をエントリーします。

※コメントは敬称略

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9.縁起レイヤー内通信の問題

概要:各縁起レイヤー内の通信は言語を媒体にして行われ、心の働きである知・情・意を伝達する。各縁起レイヤーごとに知・情・意の伝達の優先順位が異なる


コメント:マルコおいちゃん
日比野さん、こんにちは。たびたびおじゃまして恐縮です。
カンジで「意」と書くと、わたしは「意志」より「意味」と受け取ってしまいます。シナ語表現では、この「意味」の伝達が非常に大切だからです。
たとえば、「わたしはあなたを愛する」という「意味」を伝達するのは、特別な目つきや態度、という身体言語も使用可能ですし、ふつうの意味での「言葉」なら、「わたしはあなたがキライ」と発言して「愛」の「意味」を伝達しようとすることもままあります。そうした表現は、シナにおいてはとくに多く見られるコミュニケーション手法ではあります。
それはその機微をつかんでしまえば、日本人には理解しやすいのですが、欧米意人には非常に理解しがたいものらしいです。彼らにとって表現と「意味」がぴったりと正しくくっついているのが普通ですからね。


コメント:日比野
マルコおいちゃんさん、こんばんは。
たびたびおじゃまなんてとんでもないです。こちらこそ、実のある有意義な議論をさせていただき深く感謝しています。いろいろお教えいただいた中にまた考えを深める機縁もあり、とても勉強になります。
「意味」の伝達ですが、日本人どうしですと、さほど意識もしないのですが、これもなかなか難しいのですね。、「わたしはあなたがキライ」と発言して「愛」の「意味」を伝達、とはなるほど、と思いました。流行りの言葉でいえばツンデレになるのでしょうか?
たしかに欧米人には理解しがたい表現形式なのかもしれません。




10.言語と国は一致するか

概要:知・情・意の心の働きを互いに十分意思疎通できる言語・文化地域があって、そこに住む人々の集まりを国と呼ぶのであれば、「言語と国は一致する」と言っていい。


コメント:マルコおいちゃん
日比野さん、こんにちは。
そういえば、今のドイツ人の妻とはじめて知り合ったころは、もっぱら「情」で縁起を結んでいましたっけ・・・よくもまあ、今までやってこれたものだと、しみじみ思います。ひょっとすると縁起のボタンを掛け違えたままなのかもしれません、とほほ。
失礼しました!!


コメント:日比野
マルコおいちゃんさん、こんばんは。
夫婦の「情」は言葉だけではないですから。永く寄り添うことで、だんだんと言葉さえも不要になってゆくのではないでしょうか?
私のところはそうではありませんが、ゆくゆくは・・・と思っております。



コメント:カッパ子
こんにちは。
我が国は国土・民族・言語が一致する世にも幸福な民族ですよね。フランスの地理教科書には「国土と民族が一致しない民族もある」とわざわざ書いてあるのに、日本の教科書にはそんなこと書かれていません。日本の教科書のその視野の狭さに「だから日本の教科書は」とため息をついておりましたが、よく考えれば当然なのかもしれません。日本人は「国土と民族が一致しない」現実を経験したことがないのですから。今世界では民族間対立がますます激しくなっています。どの民族も自分の国土を持ちたいと思っている。日本人には当然のことが実は当然でないことを気づいてほしいです。日本を日本たらしめている国土そして言語を守ってほしいです。
何か貴エントリー内容とずれてしまいました(汗) 翻訳の難しさは言葉を知れば知るほど理解でき、その恐ろしさにたじろきます。


コメント:日比野
カッパ子様、こんばんは。コメントありがとうございます。
いえいえ、全然エントリー内容とずれていませんよ(w
カッパ子様のおっしゃるとおりで、日本は国土・民族・言語が一致する、世界でも稀な国だと思います。これでまがりなりにも先進国ですから、天道に国中が丸ごとあるという国、天国のような国だと思います。世界ではこれは当たり前ではないのですよね。国内ではほとんど意識しませんが。
翻訳については、門外漢の私が好き勝手言っていますが、実際に海外で体験されている方のお教えを乞いたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。




11.『情』と『意』の翻訳と相互理解

概要:コンテクストのズレを修正し、相互理解を行う最大の利点は、自分の価値観が相対化されること。他の文化や思考形態を知ることで、自己を調律して他者との調和を図るための下支えを作ることができる。


コメント:マルコおいちゃん
日比野さん、こんにちは。
この意味で困るのは、日本とシナで同じカンジで違う意味を表わすことがままあるからです。「平和」や「友好」というよく使用される言葉でことなる意味に用いられ、またシナ側も日本の誤解を故意に利用しているふしもあるので剣呑です。
たとえば、「平和」とはあるものが武力で天下を平定したあとにあらわれる状況ですし、「友好」とは相手が自分に逆らわない、ことです。つまりあくまで彼らの独善につごうのいい意味でしかありません。


コメント:日比野
マルコおいちゃんさん こんばんは。
ご指摘のとおりです。日本人は、漢字という表意文字を使うが故に、彼我のコンテクストにズレに無頓着なところがあるように思います。

古くは、田中角栄の日中国交正常化交渉での「迷惑」発言も彼我のコンテクストのズレの一例でしょう。たしかこんなやりとりだったと記憶しています。

毛沢東「ご迷惑をかけたという表現は不十分だ」
田中「日本では迷惑は万感の思いをこめておわびするときにも使うのです。」
毛沢東「わかりました。迷惑のことばの使い方は、あなたの方が上手なようです」

田中角栄はコンテクストのズレをうまく逆手にとりましたが、今の日中交渉でこれくらいコンテクストを意識して交渉しているのか、少々疑問です。





12.思考のオーケストラ

概要:地球には、オーケストラのように様々な「思考の楽器」が揃ってる。ナショナリズムはいらないからといって楽器そのものまでも廃棄するのはオーケストラを放棄することにつながる。


コメント:ナルト
日比野さま、こんにちは。永らくご無沙汰致しておりました。オーケストラの例え、多くの示唆的要素を含んでおり、含蓄のある例えと感じました。
ご指摘のとおり、今の世界には実に様々な音が存在しておりますが、今のところ不協和音です。この不協和音を嫌って画一化の方向に向かおうとする力が働くのも致し方ない部分はあるものの、やはり「相互理解と画一化は異なるもの」ですね。
相互理解とは最終的に様々な音の組み合わせが「オーケストラ」の如くシンフォナイズされるために必要なことで、画一化とは方向性が全くことなります。
「違えども一体」であることが、人類が最終的に到達すべき状態ではないか感じます。
思えば、近年の「冷戦後」の世界は、そういう一体化に向かうなかでの生みの苦しみではないかと。
実現はまだまだ先になりましょうが、画一化による単音状態でなく、多音によるハーモニーこそが人類が目指すべき方向であり、暗いニュースが多いですが、方向性としてはハーモニーに向かっていると感じております。


コメント:日比野
ナルト様、こちらこそご無沙汰しておりました。
おっしゃるとおり、世界の思考はまだ不協和音状態です。このシリーズの最終回でも触れていますが、まだまだ世界が地獄の領域から抜け出せず、オーケストラの一員になる気持ちがないように見えます。
それでも先進国を中心にハーモニーをなんとか奏でようとする動きもあることは事実で、それを如何に推進していくかが課題なのだと思います。
ただ、ハーモニーの音が大きくなるにつれ、不協和音も相対的に小さくなってきますから、ある一定のラインを越えたとき、一気にシンフォニーとなって響き渡ってゆくことを希望します。



コメント:マルコおいちゃん
日比野さん、こんにちは。EUがめざすのはオーケストラ、シナがめざすのはモノトーンのハーモニーのない独唱ということでしょうか?シナの成立が焚書坑儒、漢字と轍の統一だったことが象徴的にそれを表わしています。


コメント:日比野
マルコおいちゃんさん、こんばんは。
まさにそのとおりです。EUは各国の歴史があり、それぞれを十分尊重したうえでの連合を作りうるのだと思います。言語を弾圧しないのがなによりの証拠です。翻ってシナは、民族浄化を伴う極端な同化政策によって、単一色を推し進めています。さきごろRECORD CHINAから中国国内の55の少数民族の130の言語が絶滅の危機にひんしていると配信されています。
モノトーンの曲調であらゆる外部環境の変化に対応できればよいですが、すでに今のシナからして対応できていないのは明らかです。
やはりさまざまな思考の楽器がそろってシンフォニーを奏でられる環境があればこそ、いろんな演奏ができ、時々刻々の外部環境の変化にも対応してゆけるものと考えます。




13.世界調和の交響曲

概要:世界調和したいと思ったならば、世界調和の調べを演奏しようと働きかけるとともに、世界の地獄領域を減らしていく努力もしていかなくちゃいけない。日本の力を発揮できる部分はここにある。


コメント:ナルト
日比野さま、こんにちは。
先のエントリでいただいたコメントでも主張されておられたように、調和のシンフォニーを奏でようとする意思が世界には出てきており、それが未だ進歩の曲、単音への収斂を目指す動きと混在しているのが現実です。
「調和の交響曲は癒しの調べ」と表現されているように、最終的には癒しの調べによって安心を感じたとき、多くの人々がこの調べに同調していくのだと思います。
まだまだ道のりは遠そうですが、これも癒しの調べがある一定の音量になってきたとき、流れは速くなると期待しております。


コメント:日比野
ナルト様、こんばんは。
>最終的には癒しの調べによって安心を感じたとき、多くの人々がこの調べに同調していくのだと思います。
同感です。彼我の差と相手の良さ、自分の良さを推し量ることなく、単に自分の音だけ鳴らしていればいいという思いを相互理解によってすこしづつ解消していくことかと思います。ただそんな甘いことが通用する世界でないのも事実。だからこそ、互いが相互依存によって繋がっていて、それが世界を支えているということをどう意識していけるかということだと思いますが、長い道のりだと思いますが諦めてはおしまいですから。少しづつでも、と思っております。


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● こころの翻訳 (縁起のレイヤーが結ぶ世界 補追3)

いわゆる「ツンデレ」というものは、翻訳できるのだろうか。たとえば下の2枚の絵を比較してみよう。

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左右の絵はまったく同じ。ただ、台詞が微妙に違うだけ。だけど、日本人であれば、左右の漫画のニュアンスの差は認識できる。少なくとも右の絵は「ツンデレ」だと認識できると思う。

だけど、この「ツンデレ(本心では好意を寄せていながら天邪鬼に接してしまう行為)」というコンテクストがない人が他の言語に翻訳したとすると、上の2枚の絵の台詞をまったく同じ言葉で翻訳してもおかしくないだろう。

ここで、この2枚の絵の台詞を声に出してみることを考えてみる。当然、声の出し方はそれぞれの絵をどう解釈しているかによって、違ってくるはず。

もしも、日本の声優がそれぞれの声をあてたとしたら、おそらく「ツンデレ」というコンテクストを持っていない人に対しても、「ツンデレ」だと分からせることができると思う。

新・へっぽこ時事放談殿で、麻生太郎氏と日下公人氏の対談記事を紹介しているけれど、その中で注目すべき指摘があった。少し引用してみる。



  麻生 それについて私が忘れられないのが、「ポケットモンスター」の話です。私の知人に、ニューヨークに住んでいる、ものすごく金持ちで教養もあるおばあさんがいるのですが、彼女が「ポケモンを知ってるか」と聞いていくる。「もちろん知っている」と答えると、「いまアメリカのコンサーバティブ(保守)の家庭では、革命的な大きな事が起きている」というのです。アングロサクソンは、人と話をするときには言葉で説明しようと考える。だから言葉を覚えなければならないし、初めに言葉ありきの社会をつくっている。ヨーロッパも皆そうだ。ところがポケモンは、言葉をしゃべらない。それでも話が通じることを、子供の世界に広めたというのです。

  日下 偉いおばあさんだ。

  麻生 偉いですね。そういう発想でポケモンを見たことがなかったから、すごく参考になりました。

  日下 私も以前、ポケモンを企画した小学館の久保雅一さんと会ったときに、「なぜピカチューはしゃべらないのですか」と聞いたことがあるのです。「あれは凄い。ハート・トゥ・ハート・コミュニケーションが存在することをアメリカの子供に教えた。この調子で行くと、アメリカの弁護士は失業する。学者も失業する。そんなことが二十年後に期待されますよ」と。


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日下公人氏が指摘しているように、ハート・トゥ・ハート・コミュニケーションが存在することをアメリカの子供に教えた意味はとても大きい。

当初、ポケモンのピカチュウは放送回が進むにつれて言葉を喋る予定だった。だけど、ピカチュウの声優の演技力が予想以上に素晴らしかった為に取りやめになったという。

こうしてみると、コミュニケーションというのは、心のかたちを人同士で伝達しあって、相互理解するという極めてシンプルなことであって、その媒体に言葉が一番よく使われている、というだけなのだろう。

こころのかたちは、知性の八つの種類で表現できるから、スキルが最も必要なくて、もっとも普及しやすい言語的知性が代表されて使われているだけ。こころを表現するために、なにかの「かたち」があればいい。

そのこころのかたちが縁起の糸で他人に伝えられ、その人のこころのかたちに影響を与えてゆく。

釈尊のことばとされている、「心はかたちを求め かたちは心をすすめる」 とはそういうことなのかもしれない。

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