法灯を継ぐ (チベットについて 最終回)

チベット仏教の聖地はラサ。だけど仏教そのものの聖地というわけじゃない。仏教の聖地は無論インド。

チベット仏教はインド仏教のいわば分家筋にあたるものだけど、本家のインド仏教は13世紀にイスラム教徒によって滅ぼされてしまった。

だけど、そのときインドの大僧院の座主がチベットへ逃れて、大切に守り伝えてきた教えや戒律の全てをチベットの僧侶に託したことで、仏教の本流はチベット仏教が受け継ぐこととなった。



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こうした教えを次に託すことを仏教では「法灯を継ぐ」というのだけれど、文字通り、法の灯を絶やさないという意味。

今度はチベット仏教が滅ぼされる危機に瀕してる。

仏教の法灯を継いでいる存在は無論、ダライラマ14世。だけどダライラマ14世は高齢で法灯を継ぐべき後継者も決まっていない。

次の法灯を受け継ぐべく、次期パンチェン・ラマに認定したニマ少年は中国当局に拘束されている。法灯の灯が消えるのは時間の問題。

もちろん解釈の仕方の話として、ダライラマやパンチェンラマがいなくても、チベット高僧が合議して、自分達でダライラマを選出して、それをたてることで法灯を守ってゆくことは十分あり得る。だけど中国のやり方で問題なのは、虐殺や民族浄化によって、チベットそのものを塗り替えようとしていること。

ダライラマ14世は中国による文化的虐殺が行われていると表明しているけれど、そのとおり。大きな目でみれば、チベット仏教だけではなくて、仏教そのものの灯が消えようとしているといえる。

だから、チベット仏教の法灯を受け継ぐ存在をいまのうちから確保しておかなくちゃいけない。それはひとつではなく、複数あったほうがバックアップとしては安心できる。

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徳川将軍家には御三家制度があった。徳川宗家の嫡男が絶えたときのバックアップ制度でもあった。実際それは見事に機能した。

暴論だとは思うのだけど、徳川家と同じように、チベット仏教の御三家にあたる存在を作っておくのはどうだろうか。

インドのチベット亡命政府がそのひとつにあたるのだろうけれど、たとえば中国以外の周辺国にチベットの高僧を迎え入れて、法灯の一つを継いで保持してもらうとか。

もし日本が迎え入れ先のひとつになるのであれば、チベットへの弾圧を忘れっぽい日本人にいつまでも訴えるという効果もある。なにより、仏教の保護者としての日本を強烈に世界にアピールすることができる。

ダライラマという活き仏を擁したチベット仏教を絶滅させるということは、仏教そのものの権威を消滅させるということと同じ。その損失はとんでもなく大きなものになる。仏教が世界三大宗教の一角から滑り落ちることになる危険をも孕んでいる。それだけはやってはいけない。

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