普遍的価値(相互信頼とは何か 最終回)

今や世界各国の上位レイヤー同士では、物凄い量の相互通信が行われている。もちろんグローバル社会になってきたから。

今の世界では、膨大な通信の中にあって、その内容をその都度咀嚼できないと価値観の消化不良を起こしてしまう。

そんな文化のコスモポリタンの中に長くいると、相反する価値観の間で社会の混乱を招くこともある。そんなとき往々にして起こるのは、半ば強権的に「これが正しいのだ」と規定して皆がそれに従ってしまうこと。

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当日比野庵にリンクしている「深森の帝国」の水月氏が、「古代ヨーロッパの歴史考察」および「星巴の時空1」というエントリーで、『古代ギリシャから続く、ポリス伝統社会の溶解と崩壊…… それは、唯一絶対神の宗教にすがらざるを得ないほどの、社会的動揺であったろう』と指摘している。

日本だって例外じゃない。世界という視点からみると、日本的価値観が果たして世界的普遍性を持ちえるかどうかの洗礼をまだ受けてはいない。

日本的考えの中にはとても優れたものがあり、世界に発信すべきものが数多くあると思うけれど、日本文化が世界中に広く発信されるようになったのはごくごく最近の話。

これまでの歴史上、日本が開国して、上位レイヤーを他国と接続した時期があるといっても受信専門が中心。積極的に発信までしてこなかった。

今の開国は受信もするけれど発信もする双方向の情報通信。だから発信した日本文化に対する反応が返ってきて漸くその価値は明らかになる。

日本の「共生の思想」を世界標準にしようとして、いのちを大切さを訴えたとしても、アラブ人に砂漠を指差され『何処に命があるというのだ』と嗤われたときに返す言葉を持ち合わせているのだろうか。

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また、縁起レイヤーの双方向通信では、自分は相手に影響を与えると同時にまた、自分も相手の影響を受ける。

今のように上位レイヤーを常時開放し続けて、国民の殆どが上位レイヤーで活動できている状態では、特に互いの影響度合いとそれによる変化は大きくなる。

日本文化を世界に発信していくことで、確かにその影響は現れてくるのだろうけれど、下手をするとその結果がでる前に、日本的価値観がグローバル価値観に飲み込まれて消えてしまう可能性だってある。

鎖国して文明文化をじっくり熟成する期間が持てないまま開国を続けていると、世界的普遍性を持つ考えに飲み込まれてしまうかもしれないことも見据えておかないといけない。それが良いか悪いかは別として。

日本的価値観の構造を世界レベルに飛躍させるためには、本当の意味においては、全世界の思想を束ねてしまえるくらいの巨大な建造物が必要なのだけど、その前に日本の価値観の建築物のどの素材が世界レベルで理解されるのか、どれが今後も使っていけるのかの見極めが必要になってくる。

それには、まず、個々人が日本とは何かということを、世界の目から見て考えてみることも必要なのだと思う。

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