現代の開国の問題(相互信頼とは何か その14)

これまでの実績から見る限り、日本はその十八色目の糸を巧みに縦糸に織り込んで、新しい考えとして建て増ししてゆくであろうと予想されるのだけれど、当時と今とで違っている点がある。

ひとつは、グローバル化が進んだことで、新しい価値観の普及および均質化のための鎖国、価値観においての鎖国をすることが非常に難しいということ。

純粋な意味での鎖国をする為には、自国内で完結した自給自足が完備していないといけないし、他国から攻められないだけの武力も持っていなくちゃいけないから、現代社会ではすでに非現実的な話であるのは当然なのだけど、価値観の鎖国であってさえも、制約は一杯ある。

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価値観の鎖国をするということは、他国文化や思想を受け入れないという事。邦人の海外渡航は厳しく制限されるし、輸入品も検閲しないといけない。それこそ外国との接点は出島でも作って制約するしかない。今の世界ではかなりナンセンスな話。

もうひとつは、日本国民の多くが上位レイヤーで活動するに伴って、世界と沢山の繋がりができて、世界の考えやその影響をダイレクトに受信するようになってきたこと。もっと言えば親密な友人関係をつくって、下位レイヤーレベルで海外と繋がる人も多くなってきている。

昔は、海外との接点は上位レイヤーが殆どだった。そこで活動する人々だけが漢書や洋書を輸入して学んだり、珍しい舶来物を見ては、新しい価値観に触れることができた。当時は今ほど上位レイヤーで活動できた人はいなかったし、海外の事物に直接触れることが出来た人はもっと少なかった。それは、縁起の織物に織り込んでゆく糸そのものが比較的少量で済み、織り込むレイヤーも上位レイヤーに限られていたことを意味してる。


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[Asagi's photo]より


だからこれまでの開国と鎖国の繰り返しによる新しい価値観の吸収には段階があった。上位レイヤーの変化と下位レイヤーの変化には時間的ズレがあって、鎖国してからゆっくりと下位レイヤーに浸透させてゆけるだけの時間的余裕があった。日本の風土や伝統に馴染まない価値観は、下位レイヤーへ浸透させる間に少しずつ修正していけばよかった。

価値観の鎖国がうまくいかないと、日本の「和」の社会は、その「和」を作ってゆく時間が持てなくて崩れてゆくし、上位レイヤーで活動する人がほぼ国民全員に近いほど多くなると価値観のズレや混乱は加速してゆく。


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