相互信頼性を破壊するもの(相互信頼とは何か その8)

開国して新しい価値観が入ってくるとき、その入り口から社会的均質性は崩れてゆく。古くは仏教伝来、戦国期のキリスト教伝来の時期、明治の開国から今の時期なんかはそう。縁起の織物の一部に違う色の糸が入ってくる。

世界調和の交響曲」のコメントで新快速 播州赤穂行き様から、日本の相互信頼性が崩れている事例として、安全や食品偽装等の問題や、ブログ炎上などを挙げられている。こうした事例を含めて、日本の縁起レイヤー構造ごとにどのような問題が起こっているかを整理してみると下記のようになろうかと思う。


    思想レイヤー   :政治思想の対立、ブログ炎上など
    経済レイヤー   :偽装問題、年金問題、食品安全性問題など
    地域共同体レイヤー:少年凶悪犯罪など
    血縁レイヤー   :家庭内暴力・無理心中・自殺・幼児虐待など    


これだけをみると相互信頼性などないかのように思える。

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[Asagi's photo]より


確かに、これらの問題は全レイヤーで起こっているのだけれど、検討すべきはこれらの問題が相互信頼性の崩れに起因するものかという事と、その原因が没コミュニケーションによるものかどうかという事。

相互信頼性が崩れているかどうかは受け手側の行動で決まる。すなわち縁起の糸で結ばれている相手からの通信を遮断したり拒絶したりしているかどうか。

相互信頼が失われている状態というのは、自分の期待に対して、相手はそれに応えることはないだろうという主観的判断。互いに互いをあてにしていない状態。

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[Asagi's photo]より

だから、たとえば、経済レイヤーで起こっている偽装問題や安全性の問題にしても、これらの問題自身は相互信頼を破壊するかもしれない原因であって、相互信頼が破壊された結果じゃない。

昨今の毒餃子問題で中国産冷凍食品が一斉に敬遠されているけれど、そういった自衛行動となって始めて中国産冷凍食品に対する信頼性が崩れた結果となる。

思想レイヤーでのブログ炎上を取ってみても、炎上そのものは、炎上ブログの管理者の社会に対する信頼性を失う原因になるかもしれないけれど、本当に失ったかどうかは、本人がブログを閉鎖して、新しいブログの開設すらしなくなったとか、ネットをやらなくなった、といった具体的な遮断や拒絶、あるいは自衛行動に出たとき結果として現れたことになる。


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