相互信頼性とは何かを考える前に、社会秩序を保つ上での「律法」について考えてみる。
律法というのは明文化された法律。日本で明文化された律法といえば聖徳太子の時代にまで遡る。かの十七条の憲法がそれ。
十七条憲法で主に説かれているのは、群臣、今でいうところの官僚の心得だけど、その目的は「和」という言葉で群臣を天皇の元でまとめようとしたこと。明確な罰則規定まで書いているわけではないから、厳密にいえば法律とは言えないかもしれないけれど、少なくとも行動規範となる考えを示したことは確か。
十七条憲法で面白いと思われる点は既に当時から様々な価値観をまとめて規範にしようとしていることが窺われるところ。価値観の建て増し構造の原型。
聖徳太子の時代はちょうど仏教伝来の時期。仏教の礼拝をめぐって蘇我氏と物部氏の対立抗争の末、蘇我氏が勝利をおさめ、仏教が日本に広がっていったけれど、そこに至るまでの軋轢や抗争の激しさゆえに、皆を糾合してまとめてゆくための法が必要とされたのかもしれない。
ここで十七条憲法の一部を書き下し文で振り返ってみる。
「一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ。
人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる 者少なし。ここをもって、あるいは君父にしたが順(したが)わず。また隣里に違う。然(しか)れども、上和らぎ 下睦びて、事を、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」
「二に曰わく、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり、則(すなわ)ち四生(ししょう)の終帰、万国の極宗(ごくしゅう)なり。何(いず)れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。人尤(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すく)なし、能(よ)く教うれば従う。それ三宝に帰せずんば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。」
《中略》
「四に曰わく、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民(たみ)を治むるの本は、かならず礼にあり。上礼なきときは、下(しも)斉(ととの)わず、下礼なきときはもって必ず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは位次(いじ)乱れず、百姓(ひゃくせい)礼あるときは国家自(おのずか)ら治(おさ)まる。」
《中略》
「六に曰わく、悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。ここをもって人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い詐(あざむ)く者は、則ち国家を覆(くつがえ)す利器(りき)たり、人民を絶つ鋒剣(ほうけん)たり。また佞(かたま)しく媚(こ)ぶる者は、上(かみ)に対しては則ち好んで下(しも)の過(あやまち)を説き、下に逢(あ)いては則ち上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それかくの如(ごと)きの人は、みな君に忠なく、民(たみ)に仁(じん)なし。これ大乱の本(もと)なり。」
《中略》
「九に曰わく、信はこれ義の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信あれ。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん、群臣信なきときは、万事ことごとく敗れん。」
《中略》
十七に曰わく、それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。
一条の「和をもって尊しとなす。さからうこと無きをむねとせよ。」は古来の日本的和を規定しているし、二条の「篤く三宝を敬え」で仏教を尊ぶように謳っている。
しかも同じくその二条で、「人、はなはだ悪しきもの少なし。よく教うるをもて従う。三宝によりまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直す。」と性善説を説くと同時に、教育によって正すことができるとしている。その教育は仏法である、と。
そして、四条では「群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。」と礼節を説いている。また、六条では、「人の善を匿(かく)すことなく、悪を見てはかならず匤(ただ)せ。」と「勧善懲悪」を説くとともに、九条で「信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それ善悪成敗はかならず信にあり。」とし、「勧善懲悪」の根本には信頼関係がある、としている。
最後の十七条に至っては、「それ事はひとり断(さだ)むべからず。」として大事なことは多くの人に相談すべきであると説いている。天皇中心の中央集権的国家を目指しながらも、かなり民主的な考えを取り入れている。
こうしてみてくると、一条と二条で、和が最も尊いものであり、その前提となるであろう全ての人は善きものである、という考えにさらに人間教育の柱として仏教を建て増ししている。そして更に四条と六条で儒教的礼節を建て増ししている。

この記事へのコメント
SAKAKI
十七条憲法って正式には廃止されていません。みんなで遵守しましょう(笑)