日比野庵離れにアップした「考えること、伝えること」のエントリーのコメント欄にて、さくよ様から、コミュニケーションをする意味について質問を頂いたので、これについて考えてみたい。全8回シリーズでエントリーする。
[Asagi's photo]より
まず、コミニュケーションを行う意味について考える前に、そもそもコミュニケーションが成立する条件について整理してみると、おそらく次のようになるだろう。
1.外部との通信インターフェースがある
2.入出力された情報を認知または認識するための共通データベースがある
3.時間と空間を共有している
1.はコミュニケーションを行うための外部通信機能、人間であれば、五感を持っていて、それらが機能しているということ。
2.は文字どおりコミュニケートされた内容を理解するためのコンテクストを互いに持っているということ。
3.は、彼我の意志を互いに五感で検知できる状態にあること。但し、互いに同じ時間や場所にいなければならないということを必ずしも意味しない。
[Asagi's photo]より
人間と動植物との間で明確なコミニュケーションが成立しがたいのは、1.の五感機能が完全に共通ではないことと、2.のコンテクストが異なるから。
五感が共通でないというのは、人のように具体的な言葉を喋れなかったり、身体構造が人間と異なるために、人と同じ動作や表情を作れなかったり、同等・同質の性能を持っているわけではないということ。
犬は人間よりずっと鼻が利くし、蝙蝠なんかは超音波を聞くことができる。魚の目の視界は180度もある。そもそも見ている世界が違う。異世界に生きているようなもの。
また、コンテクストで考えてみても、たとえば感情を表す動きも動物と人間とでは異なる。犬が尻尾を振るのはたいてい相手に親しみを覚える時だけど、猫がしっぽを振るのはいらだった時や、攻撃の前触れと言われている。種によってコンテクストのデータベースからして異なる。
だから、動植物とコミニュケーションをとろうとおもったら、まず五感などの外部通信インターフェースを共通にして、さらに種ごとにコンテクストのデータベースを用意しないといけない。最近になって、鳴き声によって犬の気持ちを翻訳するバウリンガルという商品が開発されたりしているけれど、要はこれら1、2の問題をクリアしてやっと実現できるもの。
人間同士のコミュニケーションであれば、1.の五感は共通だから基本的にクリアしている。だけど、2、3となると少々条件がつく。
2.のコンテクストでは、言語や動作の持つ意味であるとか、人種や言語圏、文明圏で少しづつ異なってくる。同一文化・言語圏であれば、これもクリアしているのだけど、他言語同士だと、最低限どちらか一方が相手の言語やそのコンテクストを知っていないとなかなかコミニュケーションは成立しない。
さらに3.の時間と空間を共有しているという条件は、ひらたく言えば相手と話ができる場が出来ていて、かつ双方が話を聞く体勢になっているかどうかということ。
たとえば、仕事か何かで、隣に席を並べていたとしても、互いに話そうという体勢になっていないと会話はできない。一生懸命目の前の仕事に集中している人に話しかけても、後にしてなんて言われるだけ。電話を取次いでも、後で電話しますなんて返されることもよくあること。
また、面と向かって話ができたとしても、相手がうわのそらであったら、いくら話しても通じない。目の前に姿はみえど、心ここにあらず。互いの存在空間は共有されていない。
更には、相手が話を聞いてくれたとしても、「文字記号」のエントリーで述べたように、話す内容の五感へ変換と逆変換を通じたデータの減衰やコンテクストのズレに起因した誤解の可能性もある。
だから人間同士であってもコミニュケーションを成立させるためには、1,2,3を全てクリアして始めて成り立つことになる。
それほど、相手とコンタクトしてコミュニケーションを成立させるというのは稀有なこと。そうやって、やっとのことで情報発信したとしても、相手が同意してくれるとは限らない。
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