現地の参加者に敬意を表します。
リレーの感想を一言でいうと、表題のとおり。
「業火は神風に消され、歓迎されない五輪が始まる。」
偶然か必然か、長野だけの雨と風。出発式では、聖火をおさめていたランタンの種火は神風に吹き消され、ライターで点火することになった。業火は日本で消えた。その後も何度となく、神風によって「火」は消え、日本人が締め出されたゴール地点に「火」がやってくると一段と雨脚が強くなった。日本の神々もお怒りのようだ。
それにしても、チベット支援として長野入りした日本人の多さには感動を覚えた。ネット中心の呼びかけで、手弁当で駆けつけたのだから。中国のように、国から動員をかけ、金まで援助して集めたのとはわけが違う。その意味で、おとなしい日本人が自由意思であそこまで集まったことに、中国は戦慄しているのではないかと思う。
ただ、双方のデモが加熱するあまり業火を聖火にまでは、浄化しきれなかったかもしれない。あの状況では致し方なかったとはいえ、少々残念ではある。
国内メディアはもとより相手にしていないので、どうでもよいけれど、リレー終盤にいくに従って、どんどんTV中継されなくなっていったようだ。好意的にみれば、TV局の無言の、せめてもの抵抗であったのかもしれない。
海外メディアはおおむね、双方の抗議をそれぞれに取り上げている様子だから、この「火」が歓迎されているものでは決してない、ということは伝わったといえる。この時点で、長野合戦の勝利は確定してる。むろん、自由主義圏の勝ち。
主戦場であった善光寺の追悼式に500人近くが集まったのは大変なこと。国境なき記者団も善光寺の参道で抗議の座り込みを行い、メナール事務局長は「チベット側と中国側の双方が平和的にデモをしている。中国では不可能なことだ」とコメントしている。
今回のリレーで、中国支持隊は明らかなミスを犯した。
ひとつは、自ら五輪を国威発揚の場であると宣言したこと。もうひとつは、潜在的テロ組織として、日本人の意識に位置づけられたこと。
前者は、五星紅旗だけを大々的に掲げ、五輪旗ひとつ掲げることなく、「One China」と叫んだこと。五輪の意義と意味を理解していないことを露呈したし、後者は掛声ひとつであれだけの人数を動員してみせる中国人に対する恐怖と警戒心を、多くの日本人に植え付けた。
もはや深層意識レベルで抜き差しならぬ状態になりつつあるように思える。北京五輪ボイコットは政府レベルではなくて、個人民間レベルの動きとして起こり始めるような予感がしている。

この記事へのコメント
やっぱり爛漫な人
●ウイグルの独立運動も再燃するか。
中国が新疆と呼ぶ土地を、ウイグル族自らは「東トルキスタン」と呼ぶようです。ウイグルの独立運動の歴史も古く、かつては独立宣言をしたこともあるようです。長野ではチベットと中国の国旗だけが目立ちましたが、「東トルキスタン共和国の旗」が振られていたことを、今後も気にとめておきたいところです。チベットと呼応して独立運動が再燃するかも知れません。
……それにしても、情けないのは日本のマスコミ。
一番恥ずかしかったのは、「争乱」を期待していたかのような報道体勢と姿勢でしょう。
欣一の器用も感心できなかったなー。
日比野
問題は、今回のリレーで日本人の対中観が決定的なものになっていないか、ということです。
爛漫な人様のように、意識の進んだ方であれば、中国の批判一辺倒から脱却しているかと思いますが、その他多くの普通の日本人はそうではない。むしろ、今まで知らされることのなかった、中共人(中国人)の実態を目の当たりにして、戦慄と恐怖を覚えたのではないかと見ています。
これまで中国の批判一辺倒というのは、2004アジアカップあたりからの反日暴動を見て、興味をもってネットを中心に情報を集めていた若い世代を中心とするごく一部の人達であったのが、今回の長野で多くの「普通の」日本人に実態が知れ渡ったと見ています。
とっても爛漫な人
ウイグル族は、紀元前3世紀に中国北部一帯に住んでいた遊牧民族で、8世紀にはモンゴル一帯に遊牧国家「古代ウイグル王国」を形成し、支配地をトルキスタンにまで拡大しました。
その後、長い歴史の中で翻弄されます。新しいところでは、18世紀には東トルキスタンは清朝に征服されてその支配に服しました。西トルキスタンは19世紀にロシア帝国によって征服され、 その後にソ連領となりました。(現在のトルクメニスタン)。 そのウイグル族の土地は、現在は中国領として新疆ウイグル自治区となっています。
ウイグル族の言語は、アラビア文字、チャガタイ・トルコ語(ウイグル語)が共通語になっています。 ウイグル人の風貌的特徴(顔の彫りが深い、色白である、目の色は緑・青・灰・薄茶など)からは、トルコ人により近いといわれています。
みき
すつかり爛漫な人
中国自らが唐代の歴史を記録した『旧唐書』『新唐書』は、7~9世紀中ごろにかけて存在したチベット族の王国を「吐蕃」と呼んでいます。れっきとした独立王国で、吐蕃王国は唐とたびたび和平と抗争を繰り返しています。
13世紀になると、モンゴル族のモンゴル帝国(のちの元)によって、漢民族もチベット族もその支配下に入ります。明の勃興のあと17世紀から19世紀末までは、漢民族もチベット族も満州族(女真族)の清帝国の支配下に置かれます。(仮に、武力によって取ったり取られたりした過去の支配権をモンゴル族や満州族が持ち出したとして、21世紀の国際社会に通用するわけがありません。同じことは漢族にもいえるのです)。
清の滅亡後、チベットは再び独立国家となりますが、1950年に中国人民解放軍による侵略を受けて軍事制圧されました。その後、中国の 自治区として中国の支配を受ける形で現在に至っています。中国はチベット問題は内政問題だといいますが、他民族支配を「内政問題」だという根拠はありません。
きわめて爛漫な人
国をあげての歓呼の山で、大成功のうちに聖火リレーは終わる算段ですね。
けっこう・けっこう。
情報統制で映像配信は中国と北朝鮮国内に限定していただくとありがたいですから。
………私たちもそろそろ、中国の批判一辺倒から脱却しましょうよ。
批判するだけでは何も生まれませんから。
あそうそう。
東トルキスタンの国旗。私のサイトに手書きでアップしときましたから。
http://blog.goo.ne.jp/lanman_man/
爛漫な人
いないようですね。マスコミのコメンテーターむですら言及しません。そこで、またぞろ爛漫な私ならではの先読みをひとつ。
中国の歴史を見ると、匈奴(きょうど)と呼ばれたモンゴル族は、紀元前から漢王朝側と対立してきました。中国の歴史書である『後漢書』には、1世紀後半に匈奴とともに中国と対立した頑強なウイグル族のことが書かれています。
『漢書』を編纂した班固(はんこ)の実弟で、 班超(はんちょう・32年 - 102年)という後漢代の軍人が、西域に匈奴を追って、亀茲(きゅうじ・クチャ)、疏勒(そろく・カシュガル)、康居(こうい・サマルカンド)といった土地で異民族を相手に、30年以上にわたって獅子奮迅の活躍を見せます。ここに登場する 亀茲、疏勒というのが現在のウイグル族の土地のようです。