人権vs中華思想

今回のチベット騒乱がらみの各国の反応と中国の反発について。

※ すみません。思索できておらず感想のみです。オチはありません。

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CNNを始めとする西欧諸国の中国糾弾は凄まじい。人権をキーワードに対立は激化している。それに対して中国は、西欧諸国による攻撃ととらえ、徹底的に反発している。英字紙チャイナデーリーによると、チベット騒乱に対する見方について、北京市などの905人に電話調査を行った結果「欧米メディアの報道を信じる」はわずか2%しかいなかったという

人があって、国家がある西欧と、天子がいて人民がいる中華。人権と中華思想の衝突。

オーストラリアのラッド首相がダライラマ14世との対話を呼びかけたのに対し、胡主席はチベット問題は民族問題、宗教問題、または人権問題などではなく、国家の統一を守るか分裂を進めるかの問題だと答えている。明らかに人権の上に国家を置いている。

中華思想は、文化文明的に周辺国を中華帝国に帰属させるものだから、彼らの論理でいえば、チベットは、せっかく鉄道も通したり、資本も投下したりして、王化して豊かにしてやったのに独立とは何事だ、となるのだろう。

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中国は歴史上、偉大な大人(たいじん)、傑出した人物を輩出してきた。鷹揚というか、臣従するものには徳を持って報いる大人物。国士。

中国は、そういった大人(たいじん)が思想を残し、文明を興し、周辺諸国に影響を与えてきた歴史を持っている。だけど、いまはその歴史が仇になってしまってる。過去の成功体験が未来の成長を邪魔してる。

彼らは偉大な中華文明・中華帝国でいたいのだけれど、近代になって列強に蹂躙され、あまつさえ小日本すらやられ、そのプライドはズタズタになった。アジアでもずっと二番手の地位に甘んじてきた。今やっと目覚しい経済成長によって世界に冠たる中華文明として立ち上がろうとしているのに、なぜ世界は自分たちの邪魔をするのか、きっと嫉妬しているに違いない、と。

一旦、中華思想を脇において、もう少しニュートラルにみることができれば、違った対応もあったかもしれないけれど、海外での聖火リレーの抗議に対する反発を見る限り、なかなか難しいように見える。

だけど、それでも世界的視座で自らを見つめ、提示し、自らの命をも顧みないような優れた人物も存在することは確か。政府のチベット政策は誤りだと声明を出した、一部の中国知識人なんかはそうだし、たとえば、南方都市報論説委員の長平氏であるとか、サンフランシスコでチベット支持者と中国人留学生を仲裁しようとして、売国奴扱いされている王千源さんとかも、その仲間に入れていいかもしれない。

だけど、悲しいことに彼らの声はかき消されてしまう。その他大勢の声によって。

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統治の原理として中華思想をみれば、天子の徳によって、その他人民が教化されるということだから、天子が持っている価値観なり、考え方に従いなさいということと殆ど変わらない。

その天子の考えに従って、幸せでいられるのなら、まだいいのかもしれないけれど、どこの地域でも、どの時代でもそうとは限らない。不幸になるときだってある。そんなとき起こるのが、天命が下ったとする天子交代の動乱。易姓革命。

ある意味においては、易姓革命が「永遠の独裁」を拒否するシステムだったといえなくもない。ただ民主によってではなくて、百家騒乱・群雄割拠の末に勝ち残ったひとりが正統だという選択方法は、今の時代にはそぐわないこともまた確か。

人権と中華思想の対立。まだ、どちらが勝つのか分からないけれど、少なくとも人権が勝利を収めないとチベット自治は覚束ないように思える。とても難しい問題。

少なくともオリンピックは、国威発揚の道具じゃない。先進国としての、世界のリーダーたる国々の仲間となるための歓迎の場。

長野で、業火は聖火に戻る。そのトーチをバトンする。その意味を十分にくみ取ってほしい。

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