長野の聖火リレーの意味 (長野の聖火リレーについて その3)

今回の聖火リレーは、コース変更や短縮と激しい抗議活動があったにも関わらず、中国政府は国外に対しては抗議活動を非難して、国内には聖火リレーそのものは大成功だと喧伝している。

だから、彼らにとっては、形はどうであれ、聖火リレーを実施しさえすればよく、極端な話、聖火が当該国に到着さえすれば、その時点で彼らにとっての聖火リレーは成功したことにできる。

長野の聖火リレーについていえば、スタート地点に聖火が届いた時点で彼らの勝利条件は満たされる。それを阻止しようと思えば聖火そのものの受け入れ拒否しかない。それは政治的には開会式ボイコットに匹敵するアピールになるけれど、同時に国家レベルで北京五輪はもはや平和の祭典ではない、と認定したと同じことになる。

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今はまだ、北京五輪が平和の祭典ではないということを民間レベルで抗議している段階。これが北京五輪ボイコットなどの国レベルで正式決定となると、北京五輪は虐殺五輪であることを国家レベルで宣言することになる。4月12日に中国の王毅外務次官が日中両国のメディア交流会合で講演し「北京五輪の国際聖火リレーが成功裏に終わった後、誰が中国人の本当の友人かが分かる」と語ったと報道されているけれど、国家レベルでの抗議に踏み込めば、敵国と認定するぞ、言っているようなもの。

チベット問題と北京五輪という二つの対象に対する抗議レベルが異なっていることはとても重要なポイント。

チベット問題の抗議は政府レベル。北京五輪の抗議は民間レベルであって、国家レベルとしては開会式ボイコットを匂わせているだけ、決定しているわけじゃない。

今の段階で、もう北京五輪を失敗に追い込むことは簡単だけれど、中央政府の統制力の低下が地方軍閥の暴走を招き、更なるチベット虐殺や周辺国の脅威を加速する危険があることは留意しないといけない。EUのように中国から遠い国はその脅威は小さいけれど、日本のような周辺国ではバカにならない。

既にこれまでの抗議活動で準勝利条件はほぼ満たしていて、チベット問題の抗議も政府レベルにまで上がっているから、もはや長野で聖火リレーを妨害する意味はなくなっている。

だから、長野での聖火リレーでの抗議活動の目標は、国民レベルでチベット弾圧に対する抗議の意思を示すことと、本来五輪は平和の祭典であるということを訴えること。抗議活動をCNNや国内外の報道機関に報道してもらえればそれで十分。

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泉信也国家公安委員長は、例の青白聖火防衛隊の受け入れを拒否する考えを示したのが功を奏したかどうかはわからないけれど、町村信孝官房長官は4月17日の記者会見で聖火防衛隊の受け入れしない考えを示している。

断然、GJではあるとは思うけれど、それを逆手にとられないような注意は必要かと思う。

たとえば自作自演のヤラセかなにかで、ランナーに危害を加え、ほらみたことか、日本の言うことは当てにならない。聖火防衛隊は正義であって、一緒に伴走しなければならないのだ、西側各種メディアの報道も捏造をしているのだ、とばかり嵩にかかってくることも考えられる。まったく油断も隙もない。

幸いなことに、小戦略目標での大勢は既に決している。長野では粛々とした抗議活動を行えばいい。今回提案した読経デモは、その意味でも中戦略目標以上をも射程においた抗議活動であるといえる。

なぜかといえば、直接に中国を非難するでもなく、五輪を妨害するでもなく、犠牲者を弔い、これ以上の被害を出すな、というものであるから。

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