こうした態度は世界中に平和的メッセージとして発信される。世界も好意的イメージを持ってそれらを受け取っている。
だから、中国がダライラマを口撃すればするほど、どんどん中国のイメージが悪くなるばかり。悪循環に陥っている。
そうであるにも関わらず、虐殺も止めず、対話も行わず、ただただダライラマは反乱分子であるとか、西欧メディアは事実を伝えないなどと逆切れしてみせる中国政府。
これでは世界からの信頼は得られない。やればやるほど中国自身の信頼は無くなり、ダライラマの声望は高まる。それが分かっていながら、やらざるを得ない国内情勢が哀れではあるけれど、真摯に受け止めるべき。因果をくらますことはできない。
どんな主義主張であれ、その原理の中に暴力的なものがあるかないかということはその主張に対するイメージを決定付ける。
イスラムの原理主義は過激に流れることがあるけれど、仏教の原理主義は釈迦存命時の原始仏教、上座部に立ち返る。そこには争いはない。自らの心を磨き、悟りを得んとする姿にいきつく。
先に日本仏教界の中で唯一チベット弾圧に対する抗議声明を出した天台宗圓教寺の大樹僧正の声明もその原理に立ち返るもの。
中国を直接に非難するのではなく、宗教の自由が失われる事に対して、チベット人の苦しみに対して、自らの心が、姿勢がなにもせずにいるのを是とするのか、と問うている。
その意味でチベット弾圧から聖火リレーに至るまでの抗議運動を含めた世界の反応は、自らが奉じる原理の是非と、その原理に従った行動を取っているか否かを強烈に問いかけているとも言える。
今回の一連の事件に対峙するということは、自らが一体如何なる存在なのかと問うということなのだ。

この記事へのコメント
lanman_man
聖火リレーのルートとまったく同じルートを、聖火リレーのあとについて粛々と回ります。
まったくの非暴力を実現できます。
どちらが支援と声援が集めたかは、やらなかった次元のことだから分かりません。
長野ではいかに。日本人らしい抗議デモをやってもらいたいと思います。
日比野
おっしゃるとおり、日本人らしい抗議デモを望みます。
この次のエントリーで私なりの提案をしてみました。よろしければお立ちよりください。