聖火リレーに対する抗議行動(聖火リレーについて その1)

波乱含みの聖火リレーについて。3回シリーズでエントリーする。

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今回、聖火リレーに対する各国での激しい抗議活動。パリでは聖火が消され、サンフランシスコではコースの大幅な変更と短縮での対応を余儀なくされた。ブエノスアイレスでは、聖火ランナーであったマラドーナが急遽不参加したとの報道もされている。

IOCはあまりの抗議の激しさに聖火リレーのコース短縮や変更を検討するそうだけれど聖火リレーそのものは実行するようだ。なんでも中国が執拗に聖火リレーの継続を求めたという

だけど、もはや聖火リレーをするとかしないとか、コースを変更するとかで済む問題ではなくなってきているように思う。聖火リレーに対する抗議活動が激しさを増すにつれ、オリンピックそのものの権威が急降下している。なぜ中国を選んだのか、とオリンピックそのものの意味が揺らいできている。ここまできたら誰も平和の祭典なんて思わない。

このままオリンピックを開催すれば、IOCはいつから拝金主義に堕したのか、という抗議の声に反論することはできなくなる。

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ロンドン、パリやサンフランシスコでの抗議活動には各種人権団体も加わったという。聖火リレーを妨害するやり方の是非については色々あると思うけれど、彼らが偉いと思うのは、単に人権を求めて政府を非難するだけではなくて、他の人権を害する行為、チベット弾圧に対してもきちんと抗議の姿勢を示して行動を起こしていること。

きちんと筋を通して、主義主張に殉ずる潔さは評価していい。

今回のチベット弾圧が世界中に知れ渡ったおかげで、世界各国や各種団体は痛烈にショー・ザ・フラッグを求められるようになってしまった。これまでの主義主張が本心からであったのか、単なる利権目的であったのかが浮き彫りになった。特に人権団体に対してはそう。

日本の仏教界の一部からもチベット問題に対する声明があった。ここで大切なことは、この声明が単なる非難や抗議ではなくて、これまで自分達が奉じている教えに基づいて、しかるべき声明を行っているということ。筋を通す姿勢。

日本の聖火リレーの出発地点である長野の善光寺は沈黙を守っているけれど、その姿勢に周りから非難の声が上がっているという。

いまや聖火リレーに対して無言の姿勢はチベット虐殺賛成、抗議行動=チベット独立支持、というイメージが出来上がりつつある。

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