基礎力と経験(信じる行為と理性の関係について その6)

物事を考え見極める基礎となる知識や思考能力は、信じる力を有効なものとするためには重要な力。

将棋の指し手を考える思考プロセスと同じように、基礎力があれば、信じる行為に移る前に、考える必要のないものをあらかじめ捨ててしまえる。

もちろん今までの常識に囚われるあまり、真実として将来証明される事柄を切り捨ててしまうこともあるのだけれど、だいたいにおいては切り捨ててしまってもたいして問題にはならない。

画像



信じる対象である結論と前提を結ぶ論理に矛盾がないかを理性で検証するとき、理性が届く範囲でその論理に矛盾があれば、前提が正しい限りにおいて、その結論は誤りになる。それはずっと昔に、誰かが緻密に検証して、あり得ないと断定されていたりするもの。

基礎力がある人にとっては、既に検証されてしまったような道は、既知の知識として知っていること。だからあり得ない論理は瞬時に見抜けるし、最初から考える必要がないと分かる。

だから、信じる対象についてのある程度以上の基礎力がある人はそれだけで、信じる対象への論理の道を最初から絞りこめる。

絞り込んだ論理について、理性によって検証するとき、それらに関するまたはその論理に似た論理を検証した経験があると、論理検証の精度はうんとあがる。

画像



以前体験した論理検証の結果を経験しているから、今検証している論理の流れを同じように類推することが容易になる。あの時はうまくいったから、今度も同じようにうまくいくんじゃないかとか、あの時とはこの部分だけ違っているようだから、この部分だけ集中して考えようといった具合に、検証中の論理の枝分かれの先がどうなっているか予測できるようになる。

画像