1.顧客満足
消費者の購買行動が変化しているという。必需品から欲しいと感じる物へと購買対象が変化していると言われている。自分の感性で買うものを決めるマイルール派もいれば、有名人が買ってるから自分もというアヤカリ派もいるみたい。どちらにせよ単に機能だけが求められた時代から、商品の価値にプラスして付随する付加価値が重視されるようになった。
世の中に製品が溢れるようになって、ようやくその他の価値に気持ちが向いてきた。衣食足りて礼節を知る。礼節を付加価値に置き換えれば良く分かる。
付加価値を量に求めると製品は多機能型になる。なんでもかんでも付けてしまう。こんなの普段は使わないよという機能までつけちゃって過剰サービスになったりする。それを見た客自身も自分が何を求めているかも分からなくなったりとか。とにかくなんでもかんでも付けて売る。
付加価値を質に求めると製品は機能重視型。普段使わないものはいらない。メインの機能だけあればいい。そのかわり高品質、本物志向。場合によっては、限定生産になったりもする。
買う前の期待と買った後の価値が等しい状態が満足。クオリティを量に求めたり質にこだわったり。そんな感じで顧客満足を追求する。
普及率需要に支えられてきた時代が終わって、今は買う人主導の時代。サービスのクオリティの高さがポイントだから、顧客満足を追い求めて製品を開発する。買う人が欲しがる製品をつくらなきゃいけないんだけれど、欲しいと感じるのはあくまで個人の主観。だから消費者行動の予測が難しい。何をつくればいいかよく判らない。そういう時代。
でも、実はもっと先がある。
2.受動的消費行動と能動的消費行動
一般製品や文化、芸術などの創作活動を含む製品の発信者って、企業やアーティスト。新製品の開発・製造には、もの凄くお金がかかる。とても個人で負担なんかできない。だから企業が研究開発したり、スポンサーになってアーティストに依頼したりして新製品を開発する。
企業や金持ち、才能を世に認められたアーティストしか、製品や創作物を世に送り出すことができないのが現実。大衆は彼らから発信される製品を受け取ることしかできない。
漫画家の江川達也氏はマンガは映画と違って、紙と鉛筆があれば誰でも創作活動ができる、といった。確かにそのとおりだけど、世に送り出すとなると、やっぱりお金がないと駄目。企業も商売だから、採算があって、利益がでるものでないとやらない。素人の創作物なんて歯牙にもかけない。
頑張る個人は自費で作ってみたり、売り込んでみたりするんだけど、個人の力では広く世の中に宣伝できないから、全然知られないし流行りもしない。
企業や金持ち、アーティストから製品や創作物が流れてきて、一般大衆が受け取る構造がこれまでの形。受動的消費行動といっていい。
ネットがそんな世界を一変させた。創作活動の世界においてネットのお陰で大衆が誰でも、極めて安価に発信者になれるようになった。製品の評価なんかもクレームとかアンケートとかで製造側に戻すしかなかったものが、ネットで一気に広く流せるようになった。
一部の製作者から大衆へと一方通行だった製品の流れが変わった。誰でも発信者になれて、同時に受け手にもなる。双方向の流れになった。
自分から何かを発信しながら、誰かからの発信を受け取り、相互に影響し合いながら、また新しい何かを作る。これまで趣味のサークルとかでだけ行っていたものが、ネットの世界で起こるようになった。ネットが時間と空間を省略して、個人同士が繋がる糸を網の目のように張り巡らした。個人がいくつもの人格を持って、同時に活動する世界が広がった。
大衆にとって、個人の趣味の範囲であった創作活動物が、広く世の中に発表できるようになった。そのお陰で創作活動が受動的なものから能動的なものに変わった。創作活動において個人も生産者になった。
生産者から大衆へ一方向しか製品が流れない構造の中では、顧客満足は顧客の欲しいものとだけしか理解できなかった。でも創作活動が双方向になっている構造の中では片手落ちになってしまう。
ショーウィンドウにならんだものから一番欲しいものを選ぶという消費行動の設定は、お客を受け手としてしか見ていない証拠。生産者側の論理でどんなに頑張ってみても、欲しがるものを作るという枠から外には出られない。
お客が受け手であると同時に能動的な創作活動の発信者なんだという目で見れば、製品のあり方が変わる。なになにが欲しいから、これこれを買うんじゃなくて、これこれをしたから満足だ。という製品になる。
日経コンピュータで、IT業界で仕事をしていて、一番良いと思うことは何かという調査をやった。最も多かった回答は、「顧客に喜ばれたときに、やりがいを感じる」だったそうだ。
自分から情報発信する能動的創作活動においては、相手に喜んでもらえるというのが満足のひとつになるということ。
3.天国の商品
消費者が能動的な創作活動者と見た場合、製品の購買動機は欲望ではなくなる。どんな製品になるのかを推測したければ、欲望のない世界、欲望の優先順位が極めて低い世界で流通する製品を想定してみればいい。
天国があったとして、そこでの経済活動を想定してみる。住民はみんな天使なので、個人の欲望はとても少なくて、平和にくらしている。基本的に善意に満ちているので、困っている人には世話を焼くお人良し。自分の事より人の事。助けられたら、お手伝いできたら嬉しい。そんな世界。
この世界では欲望を充足する商品は売れない。だれも欲しがらない。
今の地上の経済は、「これこれが欲しい、だから買う。」ひどいのになると、欲望を煽って欲しがらせて、買わせたりさえする。欲しいから始まって、求めて買う。欲しいがスタートの経済活動。
天国の経済は、「何かお手伝いできませんか? 喜んでいただけて嬉しい。」「こちらこそどうもありがとう。これ少ないけど受け取って下さい。」手助けから始まって、対価と感謝をお返しする。手助けがスタートの経済活動。
欲望から始まる経済活動と、手助けから始まる経済活動の違いってとても大きい。
欲望から始まる経済活動では、払ったから製品をよこせ、となる。当然そのとおりなんだけど、払ったからよこせだと、その場限りの売買関係。その場で売買契約を結び、対価の支払いと共に契約終了。同じ製品でも次のものは改めて別の売買契約を結びなおす。ひとつひとつの売買が分断されてる。
手助けから始まる経済活動だと、手助けてしてくれたものに対する感謝もお金という形に表して払う。対価に感謝もプラスしてるから支払いを受け取った生産者側も喜ぶ、もっといいもの作ろうと更に頑張る。励みになる。対価にプラスしてファンレターを貰ったようなもの。売買が次の生産開発のエネルギーとなり、そこから生まれた製品がまた誰かの手助けとなる。売買と生産が互い違いに何処までも数珠繋ぎに続いていく。
地上のお金には対価しか詰まっていないけれど、天国のお金には対価にプラスして感謝が詰まっている。
お金って価値を形にしたもの。貨幣の対価価値を決めて、政府が保証したものに過ぎないけれど、実は対価以外のものも詰め込める。
天国の経済活動の考え方って、実はお布施と同じ。神仏への感謝をお金という形で表したのがお布施。お布施の考えが経済活動にのると感謝と報恩が循環して続いていく。
4.布施の商品
一部の商品でよく、収益の一部はどこどこに寄付していますとかあるけれど、あれを応用する。
最先端の研究開発、特に誰も見向きもしないような、新しい技術開発なんかは研究費がなくて苦労している。企業はそんな研究をピックアップして、あえてスポンサーにつく。
スポンサーについた企業は、自分の商品の販売価格にスポンサーになった研究の開発費を上乗せする。
最近の清涼飲料水なんかには、食玩やキャンペーンの応募券なんかのオマケがついているけれど、同じように、研究開発費を上乗せした自分の商品に応募シリアル番号がついたオマケをつけて、買った人がネットで応募できるようにしておく。
ネットには、スポンサーになっている研究の一覧と概要・進捗具合が載っていて、買った人はその中から、この研究を応援したいな、と思うものにチェックして応募する。応募した口数と上乗せした価格を掛けた額を一般消費者からの応援研究費として、研究者側に支給する。
応募の際に、買った人からの一言コメントができるようにしておいて、研究者は定期的に研究成果をネットにあげるよう義務付ける。
応募者は、配当を受けるわけでもなんでもないので、投資とは異なる。世の中の幸福増進のために頑張る人への応援、純粋なお布施になる。
応募者から「毎日の研究ご苦労様。」「期待してます。」「頑張って。」そんな一言コメントと共に、感謝と善意をお金にして研究者に届ける。
貰った方はますます研究に熱が入る。いままで見向きもされなかった研究が大勢の人のサポートを受ける立場になった。手を抜いてなんかいられない。
サッカーでいえば、サポーターと選手の関係に近い。クレームじゃなくて声援、元気玉。すこしづつの善意でも沢山集まれば大きな玉になる。
副次的効果として、一般消費者の科学技術への関心を促すことができる。理系離れに歯止めがかかるかもしれない。
こういったビジネスモデルの商品は、消費者であると同時に発信者でもあるという消費行動の双方向性を利用したもの。商品の価値を売るだけじゃなくて、世の中に貢献しようとしている人に喜んでもらえるという満足感、世の中になにがしかの貢献をしているという幸福感を売る商品にもなっている。
日本は思いやりの精神が伝統としてあるから、布施の商品が成立する素地が十分にある。布施のこころを経済活動に乗せる。この効果はとても大きい。
(了)

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