■ソフトパワーは抑止力になり得るか

1.ソフトがパワーを持つ条件

ソフトパワーは果たして、抑止力になり得るのか考えてみたい。

ソフトパワーを提唱したのは、ハーバード大のジョセフ・ナイ教授だけど、その背景には、アメリカのイラク戦争にみられる強硬な政策に対する国際的批判や、中東やイスラム圏を中心とした反米感情の広がり、さらにはテロリズムの頻発する状況を打開したいという思惑があった。

ジョセフ・ナイ教授はソフトパワーを「その国家の有する文化および国家の国内外における政策」と定義している。

端的にいえば、強制させる軍事力とか、取引である経済力とは違って、相手に自発的に自らの思いどうりに行動させる力のこと。

「桃李は言わざれども自ずから蹊(こみち)を成す」

の諺のように、その国の軍事的・経済的ではない力を持って、他国への影響力を行使する力のことをソフトパワーと呼ぶ。

ジョセフ・ナイ教授は同じソフト・パワーであっても、文化によるソフト・パワーと政府の政策によるソフト・パワーは必ずしも一致しないと指摘する。また、ソフト・パワーは国家により管理できないし、すべきでもないともしている。

偏狭な価値観に基づく文化からはソフト・パワーは生まれにくいということは、ある意味当然だとしても、そもそも管理できないパワーがパワー足りえるということは、ソフトパワーが権威化することに他ならない。

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2.権力と権威

日本は昔から、権威と権力を分離する傾向があった。中世までには、権威としての天皇と権力としての征夷大将軍とを分けていた。権威と権力を分離することで、国柄が安定した。

権威と権力が同じだと時の政府が倒れたときに権威も消滅する。新政府は国を纏めるために前政府を否定し、往々にして悪と断じがち。酷いのになると前権威の一族を皆殺しにしたりさえする。

天皇の権威と将軍の権力を分離したことで、将軍が倒れても天皇の権威は傷つかない二重構造ができた。それによって天皇が国を支えるセーフティネットとなった。そのお陰でいつの時代でも日本は日本として存続することができた。政権が倒れてもただ下々が変わっただけ。日本の国柄は変わらない。

権力は、武力と経済力によって担保されるけれど、権威は歴史や血統、精神性によって担保される。だから、権力は軍が維持できなくなったり、金がなくなったりすると簡単に倒れるけれど、権威は人の心があればいいから、一度権威を立てることさえできれば、権威が節制している限り、後の維持は凄く簡単。

権威が権力の上に立てば、覇権争いから無縁でいられる。たとえ利用される存在であったとしても。

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3.権威の源泉

権威とは自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる権力とは別のもの。

助言以上命令以下であるけれど、他者に対して権威的であるためには、その両者が同じ価値体系や規範を共有していないといけない。価値体系が異なる存在同士では、権威は発生しないから。

今の世界では、いくつかの価値体系がそれぞれあって、互いに覇を競っている。そして表面上は、互いの価値体系の権威をそれぞれ尊重しているように見える。

では、価値体系の異なる間同士でも、権威が発生しているのかといえばそうでもない。

たとえば、キリスト教圏以外の世界がローマ法王を権威と認めているのは、もしローマ法王をないがしろにしたら、世界中のキリスト教信者を敵に回すと思っているから。

権威権威といいながら、その裏には力の論理が隠れてる。

キリスト教圏内ではローマ法王はその世界の権威。でもその外の世界は、権威とは認めていないのだけど、力の論理によって、それを言えないだけ。

国連が権威になりきれない理由もここにある。

国連は国民ひとりひとりのレベルでは世界中に浸透していない。なくても別に困らないと思ってる。国連の価値体系の世界は各国の中枢部レベルまでしか浸透していなくて、その下の国民には届いていない。

だからといって、国連を世界政府的にしたら権威づけできるじゃないかという考えは結構危うい。世界各国の政治状況や文化を含めた細かいところまで、外部から分かるわけがないから。

その国の事件はその現場で起こっているのであって、国連ビルで起こっている訳じゃない。

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4.心と肉体の主従関係

権威は心を従わせしめ、権力は肉体を支配する。

もし、心と肉体のどちらが主でどちらが従になるかという主従関係があるのなら、権威を求めるべきか、権力を求めるべきかはっきりする。

平和な世では精神が主で肉体が従。まず生命の安全と将来にわたっての生命財産の保障がなされてようやく、精神活動が主権を握る。身を捨てても精神を取れる人はやはり少数派。

戦乱の世では肉体生命の保持が先になる。精神は二の次。とにかく生き延びれなければ話にならない。現在に至っても暴力装置が有効な理由はここにある。

しかし、暴力装置であっても、建前上は民のためとか、正統とかを掲げたほうが統治しやすい。そのとき権威が利用される。たとえお飾りであったとしても。

法治という考え方が世界に受け入れられた結果、戦争を起こすための下準備が大変になった。戦争を起こしにくくなった。戦争をするためにはまず国民の心を戦争を是とするように持っていかなくてはならないから、権威はますます重要性を帯びることになる。

日本は自由主義国家だけど、社会主義国家が隣接しているし、国内でキリスト教やイスラム教が主流派を占めているわけじゃない。

日本は、国政統治の主義でみても、宗教信条でみても、同一価値観内で発生する権威には頼れない状況下にある。

だから、価値体系が異なる相手でも通用する権威を模索する必要がある。それは縁起のレイヤー構造にヒントがある。

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5.縁起のレイヤーとロビー活動

縁起のレイヤー構造の中で、大きく価値観体系を既定するのは思想レイヤーと経済レイヤー。これら上位レイヤーで大まかな国の形を維持してる。その下の下位レイヤーでは、昔ながらの伝統や日々の生活が営まれる。

ロビー活動は主に上位レイヤーで行われる。経済レイヤーで献金をして、自分の息のかかった議員を送りこみ、思想レイヤーで宣伝戦を行う。

だけど、後々の時代まで消えずに残ってゆくような普遍性のある価値観は、その国の伝統や文化として、家族レイヤーや知人友人レイヤーといった、下位レイヤーにまで浸透していって、そこで連綿と受け継がれてゆくもの。

上位レイヤーでは時代の流れに即応し、絶えず通信機器やデータが更新されたりしてるから、ノイズも多いし、通信規格が古くなったりして、下位レイヤーに深く浸透して行けるほどの普遍性を持たない情報は流されて、やがて消えてゆく。

中途半端に敏感な人は上位レイヤーのデータに流されるけれど、下位レイヤーがしっかりした人はそんなデータには流されない。自国の文化や伝統をしっかり守って生きてゆく。

下位レイヤーで浸透していった文化は文明を形作る。

下位レイヤーはより個人の縁に近い層であるから、そこで伝達される情報は生活そのもの。衣食住が中心。これは民主主義だろうと社会主義だろうと変わらない。

下位レイヤーでみれば、人間相手であるかぎり価値観体系はほとんど共通とみていい。

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6.日本のユビキタス化

下位レイヤーでの権威化したものはなにかというと、人々の生活に密着し、土着化したもの。各国で土着化し、変容した世界宗教もそうだし、服飾文化や食文化や建築文化もそう。文明を下敷きとして、その国の文化を形作るもの。

だから日本のソフトパワーを権威化して抑止力として考えるなら、この下位レイヤーに浸透するものでなくちゃならない。

日本の文化や商品が世界中の人々の生活に密着して、土着化することがそれにあたる。

ユビキタスという言葉があるけれど、ユビキタスとは、それが何であるか意識すらしないけれど、「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができる存在。

それと同じで日本がユビキタス化すれば、相手の国に「ニホン」が土着してゆくことになる。

具体的には日本の文化や精神を織り込んだ商品や文化作品を世界中にばら撒き、普及させてゆく。縁起の織物の下位レイヤーの織物の繊維の目を商品で埋めるイメージ。商品そのものはロビー活動はしないけれど、ないと生きてゆけない商品だから影響力がある。

歴史上これを悪用された例はある。麻薬やアヘンのばら撒きがそう。今ならドラッグがそれ。でもこれは、のちのち恨まれることになるから権威にはならない。

権威化する商品とは、地獄領域を解消する商品であり、日本の美意識であり、価値を時間軸で詰め込んだ商品。

覇権国家や帝国は、周辺国や属国を従わせるために、民族浄化したり、本国に留学させ、自国に都合のよい人材にしていったりした。

これは下位レイヤーを人で押さえていって、覇権を維持する方法。

縁起のレイヤー構造における権威とは、下位レイヤーを人でなくて、文化や商品で埋めて精神のユビキタス化を図ることで形成される。

母国語では非常に攻撃的で口論をする中国人が、日本語をつかうと、見た目にわかるくらい穏やかな立ち振る舞いをするという。

これは、違う文化や商品を身にまとうことで、人の性格や行動が変わり得ることを示してる。

下位レイヤーの繊維の目を、日本的価値観を込めた日本商品という粉で埋めたとき、その国の下位レイヤーは擬似日本化してゆく。

そしてそれはやがて、上位レイヤーのロビー活動に対する抵抗勢力となってゆく。

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7.天照す国

「慈悲というものは、強制されるべき性質のものではない。慈悲が空から注いで、この大地を潤すように、まさにそうであるべきなのだ。・・・慈悲とはこの権力による支配以上のものであり、王たるものの心の王座に宿るものなのだ。」

シェークスピアの「ヴェニスの商人」の中の有名な一節。

心を潤し、従わしめる存在は、慈悲のごとく、空から注いで、この大地を潤すように、下位レイヤーに浸透してゆくもの。日本のユビキタス化もこうあるべき。

日本が世界中にユビキタスしていって、日本の文化や精神が世界各国に土着していったとき、日本を敵にまわすことは世界中を敵にまわすという構図が成立する。

疑心暗鬼の各国は警戒するかもしれない。この強力なソフトパワーで世界を支配するのではないか、と。

だから、なおのこと日本は、強力なソフトパワーを発揮しつつも、覇権を求めない態度と信用を創っていかなくちゃいけない。

地獄の住人は天国を知らず、天国は天国の心を持った人たちが創るもの。

空から降り注ぐほどの慈悲を発揮するためには、ダムに満々と水をたたえていないといけない。技術も経済力も心根も。

日本人の多くが世界中を天照す気持ちを持って生きようとするとき、日本のユビキタス化が始まる。


(了)

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