1.国益の追求
覇権とは、外交・軍事における傾向の一種。当該国の実利的利害関係にのみ基づいて他国に対する対応を決定し、敵対国に対する侵略戦争や先制攻撃によって、領土の拡大や自国の安全保障を行い、同盟国や敵対国の反対勢力に対する軍事・経済協力を進め、成功した国を覇権国家と言う。
なぜ、大国が覇権を求めるかといえば、それが自国の国益になるから。至極単純な話。
国益といえば、まず国民の生命と安全を保障しなければいけないから、水と食料とエネルギーが必要。自国から算出するもので賄い切れなければ、他所から取ってくることになる。
そのためには他国を侵略できるに十分な軍事力と兵站を支える経済力がなくちゃいけない。
アメリカがなぜ覇権国家でいるかといえば、他国に比較して圧倒的に強大な軍事力と経済力を持っているから。
覇権国家である条件は、軍事力・経済力が世界一を占めていること。兵も兵器も水や食糧と武器弾薬がないと動かないから、軍事力の行使にはそれを支える経済力が必ず必要になる。
だから、国益を追求する行動って、平たく言えば富を求めて行動することになる。
2.富を生む社会
植民地政策の昔であれば、収奪した原材料や奴隷労働力で富を蓄積できた。生産限りなく安く抑えることで、利潤を得た。
しかし、時代がすすんでくると、とくに自由民主主義の普及にしたがって、その富を生む主体が変わってきた。
生きるための富は、食糧資源やエネルギー資源になるけれど、文化的生産活動が高じてくると、商品価値が富をもたらすようになってくる。
価値を創造する社会を形成するには条件があって、それは価値を生み出す土壌づくりと価値を価値たらしめる環境および市場創造の二つが必要。
価値を生み出す土壌とは、信教と表現の自由の確保と所有権の保障がなされていること。これがあって文化的発展があって、それらが積み重なってシーズのもとになったり、ニーズが発生する土台になったりする。そこから新しい価値が生まれてくる。
価値を価値たらしめる環境と市場創造とは、新しい価値に対して、社会的意味付けをして、社会全体に普及できるしくみ。DVDとかパソコンのOSとかは規格を統一していくことで、どのメーカーも市場に参入でき、消費者もメーカーにこだわらず、商品を選択できるようになる。
結果、生産コストも下がり、市場も広がってゆくことでトータルでみれば富を生むパフォーマンスは向上してゆく。
アメリカはチャレンジャーの国。誰もやったことのないことに取り組むことが称賛される。大量のモノにならなかった製品の中から、世界を変えるような新しい価値を生み出すこともある。
日本は昔から、職人を大切にしてきた国。ずぶの素人でも驚く工夫を普通にする。アマチュア層の土壌が肥沃で、且ついろんな分野にわたっているから、新しい考えや商品をどんどん取り込んで、使い物になるレベルへの価値転換をしたり、全く別の価値を生んでみたりする。
また、欧米は価値を価値たらしめる環境と市場創造も得意。業界の標準規格となる仕様をいち早く設定して、世界中に普及する。この仕様が価値になるのだと決めてしまう。
新しい価値が富を生むためには、価値が価値として認識されて、発揮できる場・市場がないといけない。価値が利潤をもたらすためには、価値を創造するフェーズと、価値を価値として普及していくフェーズの二つが揃って始めて成り立つ。
日本は価値の普及が弱い。職人意識というか、匠の意識というか、良いものが作れたらそれだけで満足してしまうところがある。
3.パックスアメリカーナの終焉
覇権国家が善なのか悪なのかを問うたとき、それはその結果世界がどうなるかで答えは変わる。
覇権国家が是とされるときは、覇権国家による平和とそれに浴する人々が利益を享受できるとき。
覇権安定論という理論がある。これは、経済学者のチャールズ・キンドルバーガーによって発表され、ロバート・ギルピンによって確立された理論。
一国が圧倒的な政治力及び経済力、すなわち覇権を有することで、覇権国家による秩序をもとにした国際体制が作られ、その中で他国が利益を享受している状態において世界は安定するという理論。
覇権国家が平和と国際秩序を維持するから、非覇権国は自ら国際体制を築くことなく円滑な経済活動を行うことができて、そこから利益を得る構造がそこにある。
正義が正義として通用するのは、その正義を行使した結果、現れる世界が皆の利益となっているから。
覇権国家は覇権を握ることによる利益の見返りに、非覇権国に平和と秩序を提供するけれど、やがて覇権を維持するコストを支払えなくなり、衰退してゆくと覇権安定論は説く。
アメリカが長く覇権国家でいたけれど、だんだんと軍を維持するコストを支払えなくなってきて、その覇権が揺らいできている。そしてそれを補完しようとして、あの手この手で金をかき集めている。時には強引な手段を使ってでも。
なぜ、アメリカが憎まれ、ブローバックされるようになったかというと、アメリカが自国および世界の正義を実現するために、紛争を起こしたり、他国に干渉したりしすぎたために、他国の利益を侵害するようになってきたから。
逆に、日本が世界からみて好感度No.1であるのは、ODAで皆に利益をばら撒いたから。それも自助を促す援助で。
4.ランチェスターの法則と科学技術
近代戦争は、昔に比べて兵器の性能差が大きく戦果に影響を及ぼす。核兵器などの大量破壊兵器を除外して、通常兵器レベルだけで考えてもそう。
なぜかというと、どんどん機械化や自動化が進んで、兵器の運用や使用に人が介在する余地がなくなってきたから。
戦闘機の照準を人が目視で合わせる時代じゃなくなった。機械による自動照準や自動追尾ミサイルのほうが絶対当たる。
戦争における戦果で理想的な姿というのは、こちらの被害が最小限で、相手の被害を最大限にすること。
これまでは自軍の圧倒的な兵力差、または兵力差がおきる状況化での戦場設定を考えればよかった。有名なランチェスターの法則が働く範囲内での戦争だった。
ランチェスターの法則とは、英国人ランチェスターが第一次大戦における飛行機の損害状況を調べて得た法則。
一騎打ちの法則と呼ばれる、一対一の戦闘では必ず武器の優秀な側が勝利するという第一法則と、集中効果の法則と呼ばれる、攻撃力は兵力の自乗に比例するという第二法則からなる。
一言で言ってしまえば、「武器の性能が同じであれば、必ず兵力数の多い方が勝つ」という法則のこと。
だけど、この法則はきちんと戦闘が成り立つ世界での話。
イラク戦争で見られたような、圧倒的な兵器の性能差がある場合は別。
イラク軍がいくら100万の兵力を揃えて、集中効果の法則を利かそうとしても、この法則は、
「相手を目視または補足」できて、
「こちらの攻撃射程内に相手がいない」と無意味なもの。
イラク戦争では、連合軍の精密誘導爆弾が威力を発揮した。爆撃機はイラク軍の射程外からミサイルを射出して、離脱し飛び去っていった。誘導された爆弾は寸分違わず目標に命中し、イラク軍は一方的にやられるだけだった。
アメリカは空軍力において、ほとんどランチェスターの法則の外にいる。
だけどイラクをさんざん空爆したあげく、いざ占領してイラクに駐留してみると、今度は苦しむことになった。イラク駐留軍はテロの脅威にさらされ続けている。陸軍として、直接派兵された兵士はいくら最新兵器で武装したとしても、標的として補足されることには変わりない。透明人間にでもなれない限り。
陸軍は、まだランチェスターの法則の中にいる。今のままでは、いつまでたってもイラクで陸軍は勝てない。
兵器の性能や、新兵器を開発する技術力が、戦場の勝敗の殆どを決める近代戦では、武器弾薬そのものを売却することはそれほど怖くはない。兵器開発技術者や技術情報を売り渡す方がよっぽど怖い。
5.アメリカの軍事展開力の縮小
アメリカは無敵の空軍力があるといったけれど、その無敵の空軍力を世界中に展開して、その威力を発揮するためには、航続距離の問題をクリアしなくちゃいけない。
世界最強の戦闘機とされるF22の航続距離は3200キロ程度だし、戦略爆撃機のB52でも約16000キロ。地球の半周もいけない。
この航続距離だと、米本土から直接カバーできる作戦行動半径は限られてくるし、中東や極東での作戦行動になると、どこかで給油しなくちゃいけなくなる。
必然的にアメリカが軍事力による世界覇権を維持しようとしたら、世界中に駐留基地か空母が必要になる。
先頃、太平洋上で演習中のアメリカ海軍空母キティーフォークに中国海軍の潜水艦が魚雷射程内の8キロ前後にまで接近する事件が起きた。これが本当であれば、頼みの綱の空母が展開できる海域が脅かされ、制限をうけることになる。
一方、駐留基地で考えてみても、駐留基地というものを空軍力の展開能力という観点からみると、動けない大型空母みたいなもの。だから実際の空母よりさらに作戦行動範囲に制約が出てくる。世界中をカバーできるわけじゃない。
アメリカが世界中から反感を買ってしまうと、その駐留基地すら持てなくなってしまう。しかも極東に関していえば、アメリカはすでに主防衛ラインをフィリピン、グアム、ハワイに移し始めたという観測も出ている。
今年8月に、キーティング米太平洋軍司令官が訪中して、中国軍事当局者と会談した際、中国側が太平洋を東西に分割し東側を米国、西側を中国が管理することを提案した、と米ワシントン・タイムズが報じている。
当然アメリカは拒否したそうだけれど、先頃の中国潜水艦の事件だって、アメリカが中国の太平洋東西分割提案を拒否したが故の実力誇示のように思える。
無敵の空軍力を持つアメリカといえど、その空軍力を下支えする海軍力に制約がかかると、十分な威力を発揮することができなくなる。
6.覇権国家の性格
覇権国家が衰退してゆくと、その覇権に対して挑戦する国が現れる。非覇権国やその他小国は、様子を見ながら、慎重に次の覇権国にすり寄ってゆく。生き残るために。
衰退する覇権国家と、それに挑戦する国と、生き残りを図る周辺国。覇権に挑戦しない国だって無傷ではいられない。国と国がぶつかる戦国時代へ突入してゆく。
今の覇権戦争は主に食料・エネルギーの奪い合いと、経済の支配権を理由として争われるけれど、戦争そのものの勝敗は、交戦国同士の戦力はもとより価値観・文化を含めたすべての国力によって決する。
戦略レベルでの外交戦や情報戦、諜報活動や兵の錬度や訓練に対する考え方、補給路兵站に対する考え方や兵器の運用に至るまで、ありとあらゆることに国家としての考え方が反映される。つまるところ戦争とは国家文明の総力戦。
戦争は、どちらの国家文明が優れているのかということを力づくで証明していく手段だと言えるのかもしれない。賛同はできないけれど。
だから覇権が移った時に表れる世界秩序は前のものと同じであるとは限らない。覇権国家は覇権を握ったら、自国の国益をまず優先して、自分に有利な秩序や価値観でもって世界秩序を構築するから。
それゆえに覇権国家に挑戦しない周辺国は、次期覇権国がどのような性格を持つものかをしっかりと見ておかなくちゃいけない。
7.価値を生む側と奪う側
今、中国は目覚しい経済発展を遂げているけれど、その主体は外資を誘致して、安い労働力で生産コストの低い商品を作って、それを売ることによって成り立っている。別に新しい価値を持つ商品を生み出しているわけじゃない。
天然資源はそのままで価値を付けられているから、資源を確保すればいいだけだけれど、資源以外で経済活動を生み出す価値の主体は人。個人がどれくらいの価値を生みだしていけるかは、個人がどこまで自由を確保できて、どこまで表現や研究をすることが許されるかにかかっている。
自由主義国家と社会主義国家では、価値を生むという観点からみれば、自由主義国家に凱歌があがることは言うまでもない。
思想表現の自由、チャンスを与えてもらえる社会が、文化文明の土壌をつくり、あらたな価値を生む大地となる。
今の世界では、価値を生むことを推進できない国は、長い目でみれば衰退してゆく。
新しい価値を生み出せない社会は、富を得るために他所から価値の主体を持ってこなくちゃならない。
今の中国のように思想統制国家のままでは、文化力という意味では衰退してゆく他ない。中国人の優秀な留学生が海外留学したまま帰ってこないというのはそれを傍証してる。
中国が今の社会主義国家体制のまま覇権を握ると、おそらくは軍事力だけが突出して、経済力を生み出す源泉を持てない歪な覇権国になると思う。経済力の元となる価値を生む主体は招致するか、脅して奪いとることしかできない。
ただし、虎の子の軍事力に限って言えば、国家戦略に沿った内容に特化して研究を進め、それに必要な人材を招致するぐらいは可能だろう。それでも研究内容以外での自由な発言、特に中国共産党批判にあたるような内容は一切封殺することはまず間違いない。
今の社会で、覇権国家足りえる軍事力と経済力を根底から支えるものは人。国が繁栄する根本は、個人個人の能力をいかに増大させ、またいかに優秀な人を集められるかにかかっている。
人材の確保と教育。それらを可能にする社会体制と風土。それらがないと長く覇権は維持できなくなる。
アメリカは衰えつつあるとはいえ、金に窮して、自国の優秀な人材を手放すようなことがなければ、肝心要の部分は保持できる。またいつか復活の目もあるかもしれない。
日本はまだまだアメリカほど民主の気風にはなっていないけれど、一定の範囲内で自由にさせてくれる。一定の範囲というのは官僚が築いた法律の塀の内側と言う意味。
海のものとも山のものとも分からないものに取り組むには難しい社会。そんな人は塀を乗り越えて海を渡る。アメリカもそんな人にこそオファーを出す。
塀の内側は結構ほったらかしで、外部からどんどん新しいものが入ってくる。結果、日本には、アマチュアの膨大な層ができた。これがプロを生む土壌となって、民間からあっと驚くものが出来たりもする。
だから、日本も価値を生む存在を嫉妬することなく、尊敬し応援できる風土にもっともっとなっていければ、まだまだ価値を生みだす潜在力を持てるだろう。
8.一致団結のために
サブプライム問題を切っ掛けとしてドル覇権の崩壊が言われている。
日本もそうだけれど、世界中のアメリカ離れが加速してる。離れるのは自由だけれど、今後の世界を見据えてその備えをしているかが大切なこと。
特にシーレーンの防衛をはじめとする国防なんかは、本当に真剣に考えなくちゃいけない。日米安保を破棄するときは、その一年前に通告することになっているけれど、この時がその一番のチャンスなのかもしれない。
1年という期間で、国論がどうなるか、混乱期に外国からの工作があるのは勿論として、そのなかで如何に纏めていくか。
北朝鮮拉致問題でも真実が明らかになった途端、一気に国論が固まったことをみると、空気に支配されるところもあるのかもしれないけれど、一致団結しやすい国民性はまだまだ健在にみえる。
本当の危機に際したときにしか日本人は覚醒しないのかもしれない。
但し、思いは一瞬で変えることができるけれど、兵器や組織は1年はおろか10年でもなかなか揃えられない現実は認識しておくべき。
本当に先憂後顧できる政治家がいれば、国民に隠してでもその準備をしておくのだろうけれど、果たして日本政府がそういう準備をしているのかどうかは分からない。
いざその時が来たときに慌てないように、少しでも良い結論が導き出せるように、我々国民の側も今のうちから様々な情報に触れ、考え、問いかけていくことが大切なのだと思う。
(了)
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