分配の論理(正義とは何か その10)

どんな時代でもどんな国でも、すべての国民が貴族やセレブになれるほどの富に満ち満ちた状態であることは稀有なこと。殆ど有り得ない。だから、国家は限りある富をできる限り公平に分配して、健康で文化的な最低限度の生活を保障することしかできない。

そういった分配の論理は過去さまざまな方法が提案されてきた。古くはアリストテレスが提唱したように、個人の徳性や能力に応じて配分されるべきである、とか近年では破綻したことが明らかになってきた、共産主義のようにひたすら平等配分すべきだとする考え方であるとか。

さらには、最大多数の最大幸福を理想として、そのためには部分的に個人が損をすることになっても止むをえまいとする考えもある。

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「私が試みたことはロック、ルソー、カントが提唱した伝統的な社会契約の理論を一般化し、高度に抽象化することである。」


公正としての正義を唱えたロールズの言葉。

ロールズは功利主義からの克服を目指して、正義の二原理を提唱した。


第一原理(平等な自由の原理)
「各人は、基本的自由に対する平等の権利を持つべきである。その基本的自由は、他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない。」

第二原理(格差原理と、公正な機会均等の原理)
「社会的・経済的不平等は、次のニ条件を満たすものでなくてはならない。

(1)それらの不平等が最も不遇な立場にある人の期待便益を最大化すること。
(2)公正な機会の均等という条件のもとで、すべての人に開かれている地位や職務に付随するものでしかないこと。」

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第一原理は自由に関する原理。彼は他者の自由を侵害しない限りにおいて自由は許容されるべきだと説き、基本的自由の権利(良心の自由、信教の自由、言論の自由、集会の自由など)はあらゆる人に平等に分配されねばならないとした。

また、第二原理では、格差はどのような条件下において許容できるかを設定し、環境的に最も恵まれない人は篤く施すべきであるとした。同時に機会平等において結果として現れる格差は許容されると主張した。

要はチャンスは平等に、結果については公平に処するという考え方。


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