ある国で、国王が全国民の子供ひとりあたり、毎年麦一束を分け与えると約束していたとする。ある年、麦が不作になって、分け与えるほどの麦がとれなくなった。仕方なく国王は「今後ひとりとして子供を作ってはならぬ」という法を作ったとしよう。
この法律は、「人間は子孫を残す」という自然の法(ピュシス)からみて明らかに反している。だけどこれはノモスであって、権力者の自己利益または国民利益に根ざした人為的な決まり事であるのだから正当性があるといえるだろうか。それとも、この法は自然の法(ピュシス)に反しているから法ではない、有効性はないとすべきだろうか。
もちろん、こんな極端な例ではなくて、なるべく自然の法(ピュシス)と対立しないようなノモスを規定すればいいという考えも当然ある。
たとえば「子供をつくるな」というからおかしくなるのだ。そもそも子供を一切つくならければ、やがて皆年老いて死んでしまって国が滅亡するではないか、要は麦の分配を工夫すればよいのだ、子供一人あたりではなくて、世帯ごとに均等に分ければいい。 といった具合に配分の仕方を変えてみるとか。
つまり、法を守る根拠、「あるべき姿」には、自然に流れる法則なり、イデアなりというものがあって、そうであるが故にそれに従って生きるべきだという考えと、そんなものは理想であって、現実社会とは別なのだから、現実社会は現実社会だけを治める法律を作ればいい、それはたとえば最大多数の幸福を基準にすればいいのだ、というような大きく二つの考えに別れることになる。
前者がプラトン、アリストテレス的な自然の法(ピュシス)とノモスは表裏一体のものであるという立場。後者は、功利主義的な、ノモスは自然の法(ピュシス)とはまったく別のものであるという立場。

この記事へのコメント