もしも、いつも智慧の言葉だけを喋るような人がいたとしたら、話すこと話すことが、多くの人の共感を呼び、救い、幸福を作り出してゆくことになる。もはや仏陀の域に達している。
言葉ってそれだけの威力がある。現実に幸福を創造できる。それは、あたかも言葉にて世界を創った神にも等しき力。
釈迦は修行の果てに人は仏になれると説いたから、その意味では、人は神の属性を内在している存在ともいえる。
だから、おそらく正語、正しく話す究極の姿はここにまで行き着くはず。そんなことまで意識して話している人はそんなにいないだろうけれど。
こうした観点で、理想的な正見・正思・正語において交わされるコミュニケーションを考えてみると、それはまるで天使の世界のように見えるはず。
その目で見るものは、個性という自分が学ぶべき世界であり、
その心で思うものは、智慧という宝を得られた悦びであり、
その口で語るものには、他者を勇気づけ、救う力が与えられている。
確かに、悦びに満ち溢れた世界。天国そのものと言っていい。
だから、自分とは異なった他者という存在が居て、
自分の心は100%自分でコントロールできて、
自らの言葉によって幸福を創り出してゆける。
ということは、慈悲以外のなにものでもない。
これほどのことを、コミュニケーションをすることで実現できる世界に私達は生きている。
天国は自分の心の中にある。

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