日本というフィルタリング(毎日新聞問題について考える その8)

今や、マスコミと庶民の間に確かに存在していた情報格差はネットによって埋められつつある。

それでも、一個人の経験や取材なんて多寡がしれているからマスコミとは全然勝負にならないのだけど、莫大な個人という端末数を背景にした、大規模掲示板という情報集積装置の存在がそれを覆そうとしている。

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ネット掲示板は基本的に誰でも何処でも書き込みできて、読むことができるから、その情報収集および情報発信の端末にあたる無数の個人は、それこそあらゆる分野のあらゆるところに存在してる。少なくとも自分周辺の一次情報や個人的見解については書き込むことができる。

なにかの報道に関しても、その当事者や専門家がそれは違うとネットワークに直接情報をあげることが起こりうるから、間違った報道にはすぐさま訂正が入ることになる。

その反面、ネットは個々人の経験や能力がバラバラだから、情報の処理時間も処理結果もバラバラになる。そしてそれがそのままネットにアップされるから、なにか一つのテーマに対する情報を集積していっても、全く正反対の結論があったり、様々なノイズが入り込んだりしている。

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ネットの世界では、知るべきことも知りたいことも、そして悪意の情報もごちゃごちゃに存在してる。当然デマも混じっていたりする。

だからネットから情報を得るときには、受け取る側の価値観や倫理観および情報に対するリテラシーがしっかりしていないと、容易に扇動されてしまう。ネットは匿名性が高いから、個人が特定されにくい反面、本音が出やすい。それ故に民度の高さが要求される。

なぜかといえば、ネットを利用する個人にとって、ネットから引っ張ってくる情報は、その本人にとって「知りたいこと」が主なものであって、「知るべきこと」が中心にくることはあまりないから。

どの情報をフィルタリングして抽出・共感するかは、個人の価値観や倫理観に委ねられている。ゆえに情報リテラシーがしっかりしているネット使用者が多ければ多いほど、個人の価値観や倫理観の多様性が増せば増すほど、ネット全体の意見を統一させることは難しくなってくる。

仮にネット上の全体意見が一致することがあるとすれば、極めて限定的で単一の情報しかネットに存在せず、それに対するリテラシーがない場合か、ネット使用者全体に共通する問題や価値観に訴える情報が流れているかのどちらか、又は両方しかない。

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それに対して、マスコミを介して流される情報は、知るべきことや大衆が知りたいと思っているであろうことを、編集者や会社が忖度して選択・抽出するから、基本的におかしなものはこの時点で除去することができる。

間違った情報に対するフィルタリングという観点からみれば、ネットは個々人の価値観や倫理観に委ねられるのに対して、マスコミはその報道機関としてのスタンスや社是によってフィルターを統一することができる。

要は、情報に対してエンドユーザーでフィルタリングするか、元栓の部分でフィルタリングするかの違い。

今回の毎日新聞社のwaiwai問題がここまで大きくなったのは、大手マスコミである毎日新聞社として、フィルタリングした情報が、日本的価値観である「穢れを祓う」部分に反していたということと、ネット使用者達の殆どが「穢れを祓う」という価値観を持っていて、それに従って情報をフィルタリングしていたということにある。

毎日新聞社は「反日」というフィルターを通して記事を流し、それを知った多くの日本人は「日本」というフィルターを通して、それをいけないものだと判定した。

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