偽装報道(毎日新聞問題について考える その2)

毎日新聞本体のWEBで9年もの長きに渡って、こうした誤報道を流し続けていて、それでもただのゴシップなのだから実被害はないだろうとするのは相当に甘い考え。

エクアドルの在留邦人の中には、この誤報道による危険を指摘する声も上がっているようだ。

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昨今、企業経営において、コーポレートガバナンスや、コンプライアンスが叫ばれ、各企業が取り組んでいる。

雪印や吉兆を例に取るまでもなく、いまや製品の信頼性というものについて厳しく企業姿勢が問われるようになった。

日本のような先進国では、企業間競争が激しくて、代替品がそこらじゅうにあるから、対応を誤ってしまうとたちまち売り上げに響いてしまう。だから、クレームについてはきちんと対応するのは当たり前。一度でも対応を誤ってしまうと企業イメージはがくんと落ちる。

製品の不具合は目に見える形で不便を与えることが殆どだから、対策・対応も明確にできるのだけど、問題は目に見えないものに対する認識。この認識が甘いと対応は後手後手になってしまう。

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「Red Fox」殿のブログ記事によると、「waiwai」記事の翻訳は、イギリスのタブロイド誌のスタイルをうまく真似たスタイルで、典型的なタブロイドスタイルに書き直されているから、割り引いて読んでいれば問題ないんじゃないかという反応もあるようだ。

だけど「WaiWai」の低俗記事が、たとえタブロイドスタイルであったとしても、事実確認も十分でないものを公の新聞サイトで報道してしまう行為は、当の新聞社本体の信頼を自ら傷つけることになる。

あたかもニセモノを正規品のパッケージに入れて売っていたようなもの。精神的な毒餃子を食べさせていたのと変わらない。

それほど毒記事を出したいのであれば、「どくいりきけん よんだらしぬで」とでも書いておくべきであって、品質を偽装したり、誤解を招くようなパッケージにして販売するのは企業倫理を問われてしかるべき。毎日新聞という信用をバックにして、さも事実であるかのように、問題ないかのように流していた責任は重い。

目に見えないからといって、精神的公害がなくなるわけじゃない。目に見える形で被害が出てきてからではもう遅い。

だから、この問題は毎日新聞社という企業としてのコンプライアンスが問われているのであって、昨今喧しい食品偽装と同じ根っこの問題といえる。

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