技術は力か金か(新世界秩序について考える その7)

第二次大戦後、日本は、国際政治の場では名目上敗戦国扱い。戦後60年たってようやく、国連常任理事国になれるかなれないかに漕ぎつけた程度。だから世界秩序の構築やその姿を左右するだけの「政治的権限」を持てたわけじゃなかった。

だけど、日本はそういった国際的「政治力」の不足を「技術力」とそれを元手にした「経済力」で補ってきた。

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軍事力が、紛争解決や戦争といった政治的な力として行使されるように、経済力は交渉や駆け引きに使うことで、政治力として威力を発揮することができる。それに対して「技術力」そのものは政治力を持たないけれど、技術力は政治力にも経済力にも置換可能な存在。

どちらに置換されるかは、その技術を使う人がどう扱うかによって政治力になるか、経済力になるか決まる。

「技術力」を政治力や経済力に置換するとき、それがどちらに置換されるかという分岐点は商品化できるか否か。

どんなに優れた画期的な技術であったとしても、それを広く一般大衆が使えない場合は、その技術力は「政治力」として使われる。軍事技術なんかは最高機密。他国に対して圧倒的優位を作るものだから、優れて政治的な力を与える。

逆に、画期的技術が商品化され、コスト採算にもあい、安価で広く一般に使われるとき、その技術力は儲けという形で返ってくる。技術力が「経済力」に置換した姿。

前者は欧米、とりわけアメリカが得意だし、後者は日本のお家芸。

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アメリカは軍事技術の肝心要の部分は絶対他国に渡さない、戦闘機をライセンス生産させるときでも、エンジン部分だけはブラックボックス化して自国からの供給だし、イージス艦の衛星とのデータリンクシステムの中枢なんかも絶対公開しない。技術力をそのまま政治力として使ってる。

日本は、高度な技術を誰でも使える商品にして売ってしまう。ゲーム機であるPS2は兵器転用の恐れがあるとして輸出規制の対象になったし、PS3もアメリカ空軍が研究対象としたくらい。悪気は決してないのだけれど、無邪気に恐ろしいことをする国ではある。

三菱F-2支援戦闘機の開発においても、主翼の一体成型技術や最新鋭のレーダー技術などがアメリカの軍事的優位を脅かすとみられた途端、共同開発という名目で横槍が入った

それでも日本では、今も着々と新技術が開発され、日本発の技術は世界中で使われている。

原発技術、メタンハイドレード、石炭の液化技術、省エネ、海水の淡水化、砂漠の緑化技術に保水技術、燃料電池、ロボット、EM農法などなど。

あたかも次に来る未来社会の到来を予告しているかのよう。日本には光がある。その気になれば世界を引っ繰り返してしまうだけの光。


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