現実世界を肯定する(運命について考える その6)

 
仮に、世界政府樹立を目論む勢力がいたとすると、彼らにとってこうした「耳ざわりの良い死刑宣告」というプロパガンダが、世界の隅々まで浸透していく事はとても都合がいい。

なにせ死刑宣告をしているのだから、何人死のうがいくらでも言い訳ができる。

「貴方が悪いんじゃない。国が悪いわけでもない。次元上昇(マモノ)なんだ。」 

と言えばいい。

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世界政府の樹立を目論む勢力からみれば、世界統治をより容易にするために、統治手段やインフラ整備・食糧エネルギー供給などをみて、地球人口を今より少なくすべきと考えてもおかしくはない。しかも、世界統治に邪魔な勢力や国を意図的に壊滅させてしまうことができるならもっといい。

ただ、本当にそんな勢力がいたとしても、地球人口を激減させる手段として戦争という手段に訴えることは、少々乱暴に過ぎる。ましてや核なんかを使ったら最後、自分自身も被害をうける可能性がある。リスクが大きすぎる。全面核戦争は賢いやり方じゃない。

せいぜい「悪の枢軸国」を仕立て上げて、正義の名の下に通常兵器で成敗するくらいが関の山。理屈上は自分達さえ安全であれば、核だろうが何だろうが、何をどう使おうがお構いなしになってしまうのだけれど。

それよりは、全部マモノのせいにしてしまう方がずっと楽。

たとえば、地震・津波などの天変地異を誘発させたり、致死率の高い疫病を蔓延させたり、食料やエネルギー不足の状況を意図的に作り出したりするとか。もちろん本当にそんなことができるかどうかは分からない。

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要は人が手を下さず、自然(マモノ)が人を死に追いやった様に見せかけ、そうだと信じ込ませられそうな手段を使うほうがずっとスマートだということ。

だから、アセンションだとか、フォトン・ベルトだとか言っている中に、現実世界をどう救済して、どう良くしていくかという中身そのものを見ることが大切。

確かに伝統的な宗教は来世の幸福を説いたけれど、だからといって現代社会の進化そのものをいつまでも否定し続けるのならば、昔ながらの難行苦行が大切なのだと言い続けるのならば、やがてその宗教は時代と乖離して、多くの現代人の救いにはならなくなってゆく。その意味では、伝統的な宗教も今の時代におけるあり方を問い直されているのかもしれない。

多くの人が、現実世界を丸ごと否定して、あの世だけを考えるようになってしまったら、それこそ陰謀者は現実世界を好き勝手に支配できてしまう。

現実世界をより良くするためには、現実世界をちゃんと見つめて、現実をまず受け入れて、肯定することから始めなくちゃいけない。そこがスタート地点。

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