善業と悪業の綱引き(運命について考える その3)
どんなに清く正しい人であっても、共業のレベルで災厄に遭うことはある。だけど、共業であれ、不共業であれ、業である限り、それを乗り越えることは可能。乗り越えたいと思った時点から、その悪業を断ち切るための善業を積んでいけばいい。
とはいえ、人は過去にさかのぼることはできないから、過去に積み重ねてきた業はそのまま残っている。もう一度やり直しというわけにはいかない。過去の悪業は、業力として依然効力を発揮している。だから悪業を断ち切るために善行を行ったといっても、紐を鋏で切るようにハイサヨナラというわけにはいかない。過去の悪業と現在から未来にかけての善業との綱引きの力関係でその結果は変わってくる。
たとえば、昔からずっと悪口ばかり言っていた人が、今日からいきなり悪口をやめて、良い言葉を話そうとしても、中々そうはいかないように、昔から行ってきた習慣は、簡単には直らないもの。
同じように、過去の悪業が物凄く大きければ、ちょっとやそっとの善行では如何ともしがたいことは事実。だけど、善行を弛まずに積み重ねていけば時間とともに少しづつではあるけれど、その悪業は修正されていく。また、その悪業を断ち切る善行を多くの人が一斉に行うことで数の力で圧倒できれば、悪しき結果を遠ざけることも可能になってゆく。
今は地球環境汚染が問題になっているけれど、これも何十年か昔から人類が環境を汚染してきた悪業が、悪しき結果となって現われていることに他ならない。今にしてようやく各国が地球環境対策を行わないといけないと考えるようになってきた。
だけど、それがどこまで今の汚染を食い止め、改善してゆけるかは、過去汚染を積み重ねてきた悪業との綱引きに勝てるかどうかによる。
だから、運命の効力範囲と賞味期限を把握できたら、その次に考えるべきことは運命の実現可能性を見極めること。過去の業と未来への業の綱引きの力関係を見通すこと。
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