運命と自由意志について考えてみたい。全8回シリーズでエントリーする。
運命、宿命についてWeb辞書で引いてみると、こうなっている。
●うんめい 【運命】
(1)超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ。天命によって定められた人の運。「すべて―のしからしめるところ」「これも―とあきらめる」
(2)今後の成り行き。将来。「主人公の―やいかに」
●しゅくめい【宿命】
前世から定まっており、人間の力では避けることも変えることもできない運命。宿運。「これも―と思ってあきらめよう」
運命にせよ、宿命にせよ、人間の力では避けることも変えることもできないもの、とされている。
運命または宿命を考えるときには大切な観点が二つある。ひとつは、運命の「有効範囲」、もうひとつは運命の「賞味期限」。
仮に運命が絶対の100%だったとしても、それが誰に対して、または世界のどの範囲まで効力が及ぶのか、という視点が「運命の有効範囲」。
運命が運命として効力を発揮するのが永遠不滅なのか、それとも、いついつ迄といった期間限定のものなのか、という視点が「運命の賞味期限」。
「これも運命(宿命)と思ってあきらめよう」とか「主人公の運命や如何に」という具合に使われる場合の有効範囲は個人だし、「これが国の運命なのか」だとか「これは民族が背負った宿命なのだ」とか言う場合は、とうぜんその国や民族全体が運命の有効範囲になる。「ナントカの大予言」の類なんかがそう。
だけど、運命づけられた出会い、だとか、ナントカの大予言とかいうものだって、いざ出会ってしまったり、予言が成就してしまった後はもう何もない。だから普通は運命には賞味期限があって、それを過ぎるとあっという間にその効力を失う。
運命だ宿命だとかいって諦める前に、その効力範囲と賞味期限をしっかり押さえておくことが大切。

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