「コップ半分の水をもう半分しかないと嘆くのではなく、まだ半分あると思う意識の転換が必要だ」
故小渕元首相が施政方針演説の中で「建設的な楽観主義」という意味で使った有名なフレーズ。安倍前総理も自身の支持率が低下したときに「私はコップの中の水を見て『こんなに減った』と思わない。『まだこんなにも残っているんだなあ』と思う」と発言していた。
もしかしたら、麻生総理もそういう具合に考えているかもしれない。
楽観主義の善い所は、楽観が生み出す心の余裕が、良い智慧を生み出す環境を作り出すこと。
よく「借金で首が回らない」という言い回しがあるけれど、始終心配事が気に掛かって悲観的になる人は、それに心が囚われてしまって、そのことしか考えられなくなる。文字通り「首が回らなく」なってる。打開策について一所懸命考えるのならまだいいのだけれど、悲観的になっていると、もう駄目だ、どうしようもない、と言って嘆くばかり。下手な考え休むに似たり。一歩も前進していない。
その点、楽観主義であれば、少なくとも悲観的ではないから、首を自由に回して四方八方を見ながらじっくり対策を考えることができる環境に居られる。ただしあくまでもそうした環境に居られるだけであって、有効な対策を考えつかないかぎり、これもまた何も変わらない。休んでばかりいても前には進めない。
楽観主義も行き過ぎてしまうと、対策を十分練ることをしなくて、甘い見通しで進んでしまったり、脇が甘くなることがある。これが楽観主義の弱点。
組織のリーダーが「コップの水がまだ半分もある」と旗を振るとき、こうした悲観・楽観の特徴をしっかり踏まえた上での発言でないと痛い目に遭うことがある。
それでもさらに気をつけないといけない落とし穴がある。コップの水の見え方は人それぞれだということ。自分と他人は同じ考えであるとは限らない。
いくらリーダーが「コップの水がまだ半分もある」といっても、そうだと思う人もいれば、そうは思わない人もいる。そうだと思わない人が多数を占めていれば、いくら楽観主義で進みたくても現実は思ったようには動かない。他人の心は自由にできないから。
総理が、若者は明るくなきゃいかん、といってすぐに明るくできる人が多ければまだ通用するかも知れないけれど、そうでない場合は現実に明るくできるものを実現して、目にモノ見せないといけない。
だから、口では「コップの水がまだ半分もある」と言ってもいいけれど、現実の政策としては「半分しか」でもなく「半分も」でもなくて、ただ「半分ある」という客観的事実に基づいた冷静なものでないといけない。
総理や組織のリーダーがコップの水の例えを使うときはよくよく注意しないといけない。

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