孤高の士、プレジデント・オバマ。
彼の生い立ちは、確かに「物語」としか思えないほどのもの。
オバマ次期大統領は、1961年8月、ケニアからの留学生だった父とカンザスからハワイ大学に勉強にきていた母との間に生まれた。2歳の時に両親が離婚、後に再婚した母とインドネシアで幼少時を過ごしたのち、ハワイで小青年期を送る。
コロンビア大学卒業後は、シカゴへ移り貧困に苦しむ黒人たちに助けを差し伸べるNPOのコミュニティグループで働いた。
2000年に下院選挙に立候補しようとしたが、他の黒人候補に敗れる。2004年上院議員の席が幸運にも空くチャンスに恵まれ、選挙に勝利。見事に上院議席を射止め国政の舞台へ。
ワイキキの中流家庭に育ちケニア人学者の父を持った彼は、ハーレムやデトロイトで育った同胞とは違うと感じていたという。
また、少年期は、特に肌の色の違いを感じることはなく劣等感も植え付けられなかったのだけど、成長していくうちに自分が黒人であることを嫌でも認識せざるをえなくなり、マリファナやコカインにも手を出したこともあったというから、多感な青年期での体験がオバマ次期大統領の人格形成に大きく影響を与えたであろうことは想像に難くない。
黒人だけど、白人のように育ち、かつ移民でもあるという、あたかもアメリカを体現したような人物であるということ。
だから、おそらくオバマ次期大統領にとって、他者の存在は、その肌の色であるとか、肩書きであるとか、財力であるとか、家柄であるとか、そんなものは全く意味をなさず、ただ相手の人格そのものがすべて。その人物が信頼に値するかどうかは、その人格そのもので判断されるように思えてならない。
国と国の外交交渉なんかを考えるとき、互いの立場や背負ってるものを守るために、駆け引きをすることは当然あることは、あるのだけれど、それ以上にカウンターパートナーとなる人物そのものの確かさ、人格こそによって信頼を勝ち得るように思える。
言ってることと、腹の中で思っていることが違うような輩は、オバマ大統領のカウンターパートナーにはなり得ない。
どんな考えであれ、哲学を持った政治家でないと相手にされないように思う。

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