戦勝国の論理(田母神論文問題について 最終回)

 
戦勝国の論理で世界秩序は作られる。だから、敗戦国がその戦争の正当性を訴えることは、そのまま世界秩序への反抗となる。

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日本側の論理としては、侵略国でないと言いたかったとしても、世界からみれば、それは言わせてはならないことになっている。極端なことを言えば、そうした歴史の書き換えは、もう一度戦争して戦勝国にならなければ出来ない話。

実際問題、もう一度戦争し直すなんてのは不可能だから、もし、敗戦国側の立場から、歴史修正を行いたいとするのであれば、戦勝国側の内部から、実は日本は侵略国家ではなかったのだ、と言わせるように仕向けるしかない。それこそ、ロビー活動なり、戦勝国側の研究機関で再検証を行う作業が必要になってくる。

だから大きくみれば、国家としての歴史認識や政府見解というものは、今の世界の中という立場と、未来のあるべき姿という二つの立場を睨みながら慎重に策定されるべきもの。

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現在ただ今の国益を守るためには、世界秩序を維持する方向での見解を把持する必要があるし、長期的な国益や国家を維持する土台となるところの国の誇りや矜持を保つために、自らを貶める歴史認識一辺倒だけでなく、様々な歴史認識を許容して温めておく必要がある。議論そのものを封殺するのは行き過ぎ。

国内でも様々な歴史認識があるし、在野レベルでは色々な意見を出されているけれど、政府レベルとなると、現時点では世界秩序に則ったこの考えが政府見解です、とするしかないし、そうすればいい。

今回の問題は日本政府は世界秩序を尊守して、シビリアン・コントロールに基づいて更迭しただけのことであるし、田母神元航空幕僚長は、言論の自由を行使して、日本の将来のために、自らが真実と思う所を述べたということ。ただし自らの立場を考えると公でのこうした発言は不適切であったかもしれないことは留意すべきだけのこと。

将来、歴史修正されることがあるかもしれないけれど、それは、歴史修正によって現在の世界秩序に影響を与えないほど古くなったときか、歴史修正する側中心の世界秩序が新しく出来上がるとき。

そうした時代がくるまで、まだ時が必要だろう。

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