変化に柔軟に対応できるものの最たるものは人間。人間は野生動物ほど、生物個体として強くはないから、逆にそれを補うものとして、様々な道具や発明をしていった。
熊のような毛皮がないからこそ、衣服を作って寒さを凌ぎ、ライオンの様に生身で狩りをする力がないからこそ、槍や鉄砲を作っていった。
どれもこれも変化に対応できる力の源は人。人のあり方とその人の住む社会がどうあるかでその適応能力が変わってくる。
先にあげた、国家としての適用能力の4つの条件(先見力、対応力、実行力、無用の用)を自由経済と計画経済でその有利不利を整理すると以下のようにならないだろうか。
自由経済 計画経済
1.先見力 ○ △
2.対応力 ○ △
3.実行力 ○ ◎
4.無用の用 ○ ×
自由経済社会では、競争があって、常に新しい飯のタネを探すことが行われている。いつも先見力と対応力、そして実行力が求められる社会になる。必然的にそうしたものに対応できる企業だけ生き残ることになる。また、経済が上向いて、社会的な余裕があれば、無用の用となる部分にも研究開発費をかけることができる。
それに対して、計画経済になると、一部の特権階級がほとんどすべての政策を決めてしまうから、その政策を立てる特権階級・官僚の能力の限界がそのままその社会の限界になる。政策を立てる担当の官僚が素晴らしく、先見性に富み、対応力も実行力にも優れた人物であれば、それなりにうまくやれるのだけれど、そんな天才はいつもいるわけじゃない。その代り、一度政策が決まれば、政府による強権で一気に事が実行されるから、実効力は物凄く高い。
日本は資源がなかったから、伝統的に教育を充実させて、人への投資は物凄くやっていた。
輸入思想が基だとはいえ、常にそれらを改良し続け、それが故に変化への対応を可能にした。資源がないことを逆手にとって、無形のものに、人に資本を投入していった。
もし石油に代わるエネルギーが開発されて、石油が不要になる時代がきたとしたら、産油国は今ほど重宝されることはなくなるだろう。
最大の強みはやはり人。オールマイティな価値を生む人の才能をどれだけ救いあげ、開花させることができるか。次の時代の光は人の中にある。

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