「私の場合、新聞を読むときは二つの点に注意している。一つは大きな見出しの記事よりも、小さなベタ記事に注目することだ。・・・記者の主観によるところはすべて無視する。」
評論家の竹村健一氏の言葉。
世の中で派手に扱われるニュースって、大抵は「叩く記事」か「持ち上げる記事」。感情に訴えるような構成を簡単にとれるから扇動されやすい。刺激的見出しをトップ記事に持ってきてインパクトを出せば出すほど強烈なアピールになるし、また売れる。スポーツ新聞なんかだと特にそう。
それに対して、視聴者に判断をゆだねるような記事や、事実だけを述べるような記事は、ベタ記事や三面記事の扱いになる。紙面が狭くて字数が限られているから。コンパクトに事実だけを書くしかない。
そういう類(たぐい)のものを、もう少し深く知りたいと思ったら、週刊誌とか一般書籍などを漁って情報収集するしかない。最近はネットもそれに加わってきた。
普通トップ記事になるようなものは、今時点で世の中で一番興味関心のある事だから、それ故にこそ客観報道に徹しないといけないのだけれど、売れる売れないという要素は大きなもの。どんな立派な記事を書いていても売れなければ新聞社そのものがつぶれてしまう。
物事を叩くのか、それとも持ち上げるのかというのは、ある意味その事象に対して善悪判断をしていることと同じ。善悪判断の根源となる価値基準は、時代や国、民族、文化によって微妙に異なる。だから、メディアがその国や民族、時代性における善悪の価値基準を共有している限りにおいて、メディアで叩いたり持ち上げたりするのは国民意思の代弁である、というロジックは間接的ではあるが成り立つ。
また、世論調査などで直接民意を問い、その結果でもって世論はこうだと報道するのは、より直接的な国民意思の代弁になると言える。
だから、マスメディアが自身の報道で、国民世論は云々というとき、その前提としてメディアの善悪基準が、国民一般の善悪基準に合致しているか、直接民意を問うた結果に基づいたものでなければならない。
だから、これが世論だといって報道したとしても、自国の価値基準でなくて、他国の価値基準に基づいて叩いたり、持ちあげたりとか、電話世論調査の結果をねつ造したり、印象操作したりして報道したりする記事があったりすると、それはとても世論を反映しているとは言えない。

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