心を浄化する文章(文章の格調について考える 最終回)


詩を例にとるまでもなく、文章には心を浄化する力がある。心が浄化を必要とするときというのは、心が曇っていたり汚れていたりするとき。

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心が曇ったり汚れている状態というのは、心に余計なものがべっとりとくっついて離れないこと。つまり迷いや悩みや悪しき想いで一杯のとき。その一点に心が留まっている。

何かの問題を解決しようとして、色んな人の意見を聞いてみたり、あれこれ考えてみたりするけれど、前後左右、どこをみても、それぞれもっともらしい結論や意見が転がっていて、どれも一理あるようにみえてしまう。この中の一体どれが本当なのか、どれが正しい道なのか分からない。目の前に散らばっている「分析知」の山を前にどうしたらいいのか分からない。それが迷い。

だけど、「統合知」になると違ってくる。翼を広げて遥かなる天に舞い上がり、空から地上を眺める視点になる。無限とも思え、どれも正解にみえ、どれを選べばいいかわからなかった「分析知」の群れが、全部見えるようになる。それぞれの分析知の生成理由、立ち位置、はたまた分析知同士の関係なんかが、ひと目で全部わかる。地上でどれを選ぶかで迷うのではなくて、空からみていっぺんに全部わかる感覚。それが「統合知」。

文章が心を浄化するとはどういうことかといえば、その悩みで塞ぎこんだ心が自由になること。目からウロコが落ちて、急に視界が開けて、そういうことだったのかと得心する。心がスッキリする。あの感覚。


高度な認識力による統合知。

深い人間理解に基づいた、心揺さぶる詩人のたまゆら。

世界を識り、真理を悟り、光あふれる言霊の智慧。


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そんな言葉で綴られた文章。それこそが悩みを断ち切り、迷いを晴らす智慧と希望。

心を浄化する文章とは、統合知をそなえ、凝縮された良き言葉の式神が、癒しの音律を奏でる文章。

そんな文章とめぐりあい、問い、求め、思索することで始めて得られる智慧。そのプロセスは、悩みから心が開放されてゆくプロセスと同じ。

思索の中の、叡智へ向かうプロセスを心に映して美しく表現するとき、迷いを解き放つ「浄化力」があふれだす。

自らの悩みや苦しみを解決し光に向かうとき、貴方の心は、他人をも浄化する言霊にみちみちている。

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本シリーズエントリー記事一覧
文章の格調について考える その1 「ウェブ2.0革命」
文章の格調について考える その2 「「知の性能」が目に見えてくる社会」
文章の格調について考える その3 「集合知という市場」
文章の格調について考える その4 「集合知の構造」
文章の格調について考える その5 「集合知の二つの性質」
文章の格調について考える その6 「日本語文章の論理」
文章の格調について考える その7 「意味の多様性」
文章の格調について考える その8 「文章の効果とは何か」
文章の格調について考える その9 「アスキーアート」
文章の格調について考える その10 「言葉のニュアンスと意味の圧縮」
文章の格調について考える その11 「1/fゆらぎの文章」
文章の格調について考える その12 「詩人の言葉」
文章の格調について考える その13 「式神と言霊」
文章の格調について考える 最終回 「心を浄化する文章」