集合知の構造(文章の格調について考える その4)


いくら食材が山のように積みあがっているからといって、手当たり次第使えばいいというものじゃない。新鮮なものもあれば、少々古くなって傷んだものだってあるかもしれない。中には河豚なんかのように、毒をもった食材だってある。

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だから、集まった知識を使って料理をする前に、一度、食材をひとつひとつ点検して、分別整理しておく必要がある。このプロセスを飛ばして料理を作ってしまうと食中毒を起こしてしまう危険さえある。そうした食材の良し悪しを見極め、分別整理をする力は何かというと、「分析知」とも呼ばれるもの。

分析知とは知識や情報を収拾し、それらを分析・解析してその中身を見極める力。きちんとソースに当たって、その知識の信頼性を確認したり、データの意味をきちんと理解し、分析する力として発揮される。

そうやって、情報を取捨選択して、使える食材に整理した上でようやくどんな料理にしようかという相談が始まるのだけれど、そこでどんな料理人を呼ぶかで出来上がる料理は当然違ったものになる。

いくら沢山の人で相談すれば、より美味しい料理ができるはずだからといって、100人の料理人を集めたとしても、100人全員が板前さんだったら、出来上がる料理はほぼ間違いなく「和食」になる。100人がフレンチシェフならフランス料理。中華料理人だったら、中華料理になることは疑いようがない。

また、その100人の中で誰か一人が板長だったり、コック長だったり、特級調理人だったりして、残り99人がその部下だったりしたら、出来上がる料理は、そのリーダーの一存で決まってしまう。

こうした状況下で「質」の集合知を成立させることは難しい。

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『The Wisdom of Crowds』を著した、New Yorker誌のコラムニストJames Suroweickiによれば、「Wisdom of Crowds」(群集の英知、集団の知恵)が成立するためには次の4つの条件があるという。

(1) diversity of opinion (意見が多様なこと)
(2) independence of members from one another (メンバーが互いに独立していること)
(3) decentralization (中心を持たないこと)
(4) a good method for aggregating opinions (正しい方法で意見を集約すること)

これらが満たされれば、たとえ個々のメンバーが正解を知っていなくても、また合理的では必ずしもなかったとしても、その中の最も優れた個人よりもグループの方が良い判断を下すという。

先ほどの料理人の例えで言えば、板前さんばかり集めてもダメだし、誰かを料理長にして、全員を統率・指揮させてもダメだということ。

多様な意見の中から、検討し、纏めてゆく知は、様々な角度から対象を見ることができて、かつ総合的に最も良い結論を導き出す力。それは「統合知」とも呼ばれる。

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本シリーズエントリー記事一覧
文章の格調について考える その1 「ウェブ2.0革命」
文章の格調について考える その2 「「知の性能」が目に見えてくる社会」
文章の格調について考える その3 「集合知という市場」
文章の格調について考える その4 「集合知の構造」
文章の格調について考える その5 「集合知の二つの性質」
文章の格調について考える その6 「日本語文章の論理」
文章の格調について考える その7 「意味の多様性」
文章の格調について考える その8 「文章の効果とは何か」
文章の格調について考える その9 「アスキーアート」
文章の格調について考える その10 「言葉のニュアンスと意味の圧縮」
文章の格調について考える その11 「1/fゆらぎの文章」
文章の格調について考える その12 「詩人の言葉」
文章の格調について考える その13 「式神と言霊」
文章の格調について考える 最終回 「心を浄化する文章」