田坂氏によれば、Web2.0革命後は、苦労して学んだ「知識」がすぐに陳腐化して「知識」が価値を失っていく社会になってゆくという。
[Asagi's photo]より
誰でも情報を扱えるようになり、それが文字だけでなく、YOUTUBEといった音声や映像情報をも発信できるようになる社会では、既存の情報の持つ意味が変わってくるということなのだろう。
特に知識が価値を失うという指摘について「知の性能」の観点から考えてみても、確かにそのとおりだと言える部分がある。
知にはそれぞれ性能があり、それは知がもつ指向性という「方位」と、最先端研究の深度という「奥行き」と、その知識が通用する月日の「賞味期限」を、掛け合わせた体積として表記できる。
知識が価値を失うというのは、その「知」が有用でなくなるということ。知の性能を検証するときに、それを使用する人にとって使えるものであるかどうかが一番大切。
たとえば、「知の指向性」の軸で見たとき、その指向性が一致する人にとって、その知は有用であるけれど、そうでない人にとっては無用の知識。漁師さんにとって、海図や天気図を読めたり、潮の流れを見極る知識は有用だけれど、電機メーカーで働く人にとっては価値はない。
また、「知の専門性」の軸で考えてみても、最先端の研究発表は同じ研究をしている研究者にとっては非常に有益だけれど、小学生にその最先端の学問知識は価値を持たないのは明らか。普通は、そんな知識は小学生にとって使えるシロモノではないから。
そして「知の賞味期限」の軸で見ても、今のように、どんどん研究開発が進んで、時代の流れが早い社会では、古い情報、特に専門性の高い分野の知識なんかは直ぐに腐ってしまう。
こうしてみると、現代社会においては、知識が価値を持てる範囲や期間はどうしても狭く、短いものになってしまう。
その意味において、田坂氏の指摘するWeb2.0革命がもたらす、「知識労働者」が活躍できない知識社会の到来というのはほぼ間違いないことのように思える。
要は、社会に知識が溢れてゆくが故に、知識そのものの性能、効果、有用性が問われるようになってくるのだと言える。Web2.0革命とは「知の性能」が目に見えてくるという革命でもある。

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