ブッシュからオバマへ
いよいよオバマ大統領が就任する。
以前「オバマ大統領の一字」のエントリーでオバマの行動原理を示す一字は「孤」と「共」だといったけれど、本当にそうなのか注目したい。
オバマの一字である「孤」と「共」は、一見相反する概念のようにみえるけれど、それが共存できるかどうかは、おそらくその「共」の範囲ではないかと思う。
オバマが自身で共にあらんとしている「共」がどの範囲の人々や国家を指しているかが重要な要素のように思える。
黒人を中心とするマイノリティなのか。
人種に関わりなく、ただアメリカ国民なのか。
それとも、アメリカとその同盟国なのか。
はたまた、全地球までその「共」の範囲なのか。
もしも「共」だと意識している何某かの範囲があったとしたら、その「共」の共通利益を守るための働きをするのは当然だとして、それ以外のところ、「共」の範囲外はどういう扱いになるのだろうか。
理屈上は対象外であって敵でも味方でもない存在になるのだろう。自らに危害を加えるのであれば反撃するけれど、そうでない限りはほったらかし。
であれば、「共」範囲外の国家や人々からみればモンロー主義のように見えるだろう。その意味では内からみれば「共」であるけれど外からみれば「孤」になっている。
余談ではあるけれど、ブッシュ前大統領の一字は何であったかと考えてみると、ブッシュの一字はやはり「使」であったように思う。これは、「使われる」という意味でもあるし、キリスト教でいうところの「使徒」の意味でもある。
ブッシュ前大統領は、ネオコンや国際金融資本の操り人形だと散々いわれてきた。確かにそういった側面らしきものがあったことは否定しない。だけど、本人自身も神の使徒としての自分を意識していたのではないか。
ブッシュが本当に神のお告げを聞いたのかどうかはわからない。だけど、そのやったことは、アメリカのマーケットを拡大し、石油利権とドル覇権の維持だったにせよ、表向きの大義として民主主義を世界中に広めるというのがあった。やり方の善い悪いは別として。
ブッシュ自身はそれを自分のミッションだと思っていた節すら感じてしまう。
その意味では、ブッシュの「共」とする範囲は全地球であったともいえる。
果たしてオバマの「共」はどこまでをターゲットにしているか。それは間もなくわかる。イスラエルのガザ侵攻がその目安になる。
オバマの大統領就任を間近にして、起こったイスラエルのガザ侵攻。これを支持するかどうか。どう決着をつけるかで、オバマのターゲットとする「共」がどの範囲なのか分かるだろう。
ガザ問題にどう対処するか。介入するかしないのか。する場合はその基準は何か。国益の為なのか。「共」の為なのか。
これらをつぶさに観測することも、今後の世界を見通す上で大切なことなのだろうと思う。
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