貨幣の持つ2つの機能(価値と貨幣について考える その9)
何かの商品が市場に広がる過程において、その商品は売買行為によって所有権の授受が行なわれ、その対価として貨幣が支払われる。
貨幣には2つの機能がある。物の売買をするときの「交換機能」と貨幣に記され保障されている価値の「保存機能」がそれ。
もしも貨幣に「交換機能」がなく「保存機能」だけしかなかったとしたら、買い手の現われない骨董品や宝石と同じで、いくら高額の(保存しかできない)貨幣を持っていたとしても、それは持っていることしかできないモノ。文字通りの宝の持ち腐れ。
また逆に、貨幣に価値の「保存機能」がなく「交換機能」だけしかなかったとしたら、その(価値を保存できない)貨幣は、二度と使うことができない「紙切れ」と同じ。その紙幣による売買行為は、紙切れと交換で自分の価値ある何かを取られてしまうことになる。強盗にあうようなもの。そんなの誰も使わない。
だから、貨幣が貨幣であるためには価値の「交換機能」と「保存機能」の二つを兼ね備えていることが必要で、出来る限り交換しやすく、保存も利くものがその材料として選ばれてきた。
昔は石とか貝とかが貨幣として用いられ、今では金属硬貨や紙幣が用いられている。もちろんこれらは持ち運びやすく、かつ時間経過によって、化学変化を起こしたり、自然に消えてしまわないものであるが故に用いられている。
貨幣が価値の交換や価値の保存の役割を持っているのに対して、モノの価値そのものは「客観的時間」と「主観的時間」という時間パラメータを持っていて、時間経過と共に価値が減衰してゆく宿命を背負っている。
そのくせ、貨幣自身は超長期保存が利いて、時間経過による価値の減衰は殆どと言っていい程ない。ここに問題が潜んでいる。
価値を持つ貨幣以外のモノは時間経過と共にその価値が減っていくのだけれど、貨幣は殆ど価値の減りがないということは、貨幣を沢山持っている人ほどいつまで経っても無くなることのない「永遠の価値」を持っているということになる。これは売買行為においては決定的に有利に働いて、価値の減衰をなるべく減らすための工夫を不要にさせる。
「永遠の価値」は、永遠にその価値を持っているのだから、物が腐るのを防いだり、ニーズの変化に沿った新しい価値の創造を必要としない。
もう少し細かくいえば、貨幣の「価値保存機能」が高ければ高いほど、腐る心配をしなくて良いし、「価値交換機能」の適用可能範囲が広ければ広いほど、つまり何でもかんでも買えるほど、新しい価値の創造をしなくて良くなる。
どんなに時代が変化しようとも、大金持ちでさえあれば、何の価値を創造しなくても、寝て暮らしていける。
こうした特権は、利子というものを加味して考えるとき特に顕著になる。
本シリーズエントリー記事一覧
価値と貨幣について考える その1 「価値を規定するもの」
価値と貨幣について考える その2 「価値が内包する時間」
価値と貨幣について考える その3 「価値の発見と経験」
価値と貨幣について考える その4 「価値と値段」
価値と貨幣について考える その5 「時間を凍らせる」
価値と貨幣について考える その6 「富の蓄積」
価値と貨幣について考える その7 「市場が飽和するとき」
価値と貨幣について考える その8 「規制と流行」
価値と貨幣について考える その9 「貨幣の持つ2つの機能」
価値と貨幣について考える その10 「金利の特権」
価値と貨幣について考える その11 「ゲゼルマネー」
価値と貨幣について考える その12 「地域通貨とスイカ」
価値と貨幣について考える 最終回 「価値の本質」
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