規制と流行(価値と貨幣について考える その8)
「官僚は虫歯みたいなもの。抜いてしまったほうが国民はよほどよいサービスを受けられる」
2005年に亡くなった、ヤマト運輸元社長の小倉昌男氏の言葉。
小倉氏は「ミスター・規制緩和」とも呼ばれ、今では当たり前となっている宅配便サービスを普及させるにあたって、当時の規制と戦い、それらを打ち破っていった。
始めは関東地方から始まった宅急便がやがて全国に拡大していく途上で、最大の障害となったのは、運輸省の許認可。山梨から松本まで配送するために、八王子・塩尻間の輸送路線の認可をとるときなど、山梨の輸送業者の反対運動もあって、政治家を使った圧力もかけられた。
それに対して小倉氏は地元業者を何度も説得し、反対運動をやめてもらうように促し、場合によっては、公聴会を開いて討論したり、中には行政不服審査請求までしたという。
また、荷物の取次ぎ店になってもらうための認可や、輸送運賃に掛かる行政の最低課金の体系変更など、実にさまざまな規制と戦っていった。
新しい価値が創造される時、それが市場に登場する前には、既得権益や規制がその障害となることがある。宅配便だけでなくて、同じような例は他にも沢山ある。
もしも、まったく規制がない市場があったなら、生み出された価値は、直ぐに市場に投入され、必要の程度に応じて広がっていく。余計な規制がある市場と比べて、商品開発から市場投入までの時間のロスが極端に小さくなるから、あとから別の会社がそれを真似したとしても、真似っこ商品が市場に出回る頃には既にある程度のシェアを奪い取っている可能性が高くなる。規制のない市場はどちらかといえばアイデア勝負、早いもの勝ちな市場であるともいえる。
また逆に、規制が新しい市場を無理やり作り出すこともある。これは今まで通用していた価値が突然規制によって無価値になって、別の価値を必要とする市場が作り出されるケース。
たとえばテレビのアナログ放送停止と地上波デジタルへの切り替えなんかはそう。地デジに完全移行したら、旧来のアナログ放送しか受信できないテレビは一切番組を見れなくなるから、いっぺんにその価値を失う。
さらに、規制とは少し形が違うけれど、服の流行なんかのように、その時その時で、特定の価値が生み出され、市場を作り出すケースもある。
規制とか流行による市場創造は、生み出されたときは一時的に大きな市場として現れる面がある。それこそ服の流行は一年から数年単位で切り替わっているし、地上波デジタルだって受像機への移行が済むまでの間は、地デジ対応テレビの販売という、それなりの市場が存在できる。
そういった、始めのうちこそ一時的な流行によって現れてくる市場の中にも、広く普及して受け入れられ、長い年月に渡って生き残ってゆくものもある。伝統芸能や伝統文化の類がそれ。人々が完全に必要としなくなって、見向きもしなくなるまで、規模の大小に関わりなくその市場は存続してゆく。
当然、伝統レベルにまでなる産業や商品は、その伝統を守る人々によって保護されることになる。伝統を守り抜く人々が持つ主観的時間による価値減衰はとても緩やか。
だからそうした商品の価値は、もう一つのパラメータである客観的時間による価値の減衰、生生流転の法則による価値の減衰の割合が相対的に高くなる。勿論その伝統商品が食料のように腐るような性質のものではなかった場合は、客観時間による価値の損失も殆どなくなってしまうから、結果として、長年に渡って価値が殆ど変化しないものになってゆく。
こういった、人々の伝統にまで溶け込んで、受け継がれてゆくものは、その社会への供給および普及度合いに応じて富へと変換され、その社会全体の豊かさ、共有財産として堆積してゆく。
本シリーズエントリー記事一覧
価値と貨幣について考える その1 「価値を規定するもの」
価値と貨幣について考える その2 「価値が内包する時間」
価値と貨幣について考える その3 「価値の発見と経験」
価値と貨幣について考える その4 「価値と値段」
価値と貨幣について考える その5 「時間を凍らせる」
価値と貨幣について考える その6 「富の蓄積」
価値と貨幣について考える その7 「市場が飽和するとき」
価値と貨幣について考える その8 「規制と流行」
価値と貨幣について考える その9 「貨幣の持つ2つの機能」
価値と貨幣について考える その10 「金利の特権」
価値と貨幣について考える その11 「ゲゼルマネー」
価値と貨幣について考える その12 「地域通貨とスイカ」
価値と貨幣について考える 最終回 「価値の本質」
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