価値が内包する時間(価値と貨幣について考える その2)


命の性質や嗜好の度合いによって価値の程度も変わるといったけれど、「価値」単独でその性質や度合いが変わることはないのかといえば、やはりある。

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キャベツは最初から丸いキャベツの玉としてあるわけじゃない。秋に種をまいて、育ててやって冬から春先にかけて収穫してやっとキャベツになる。もちろんそれは人間にとってのキャベツの話。

キャベツを収穫しないでそのままにしておくと花が咲いて、種を作って、枯れてゆく。枯れたキャベツはやがて腐って土に還って分解される。

一年の時の流れでみた場合、人間にとっての食用のための「価値ある」キャベツは収穫期の冬から春にかけての期間、一年のうちのせいぜい四分の一くらいしかない。

これはありとあらゆる他の物に対しても、期間の長短はあるにせよ同じことがいえる。

なぜかといえば、この世において全ての存在は流転して、永遠に同じ状態であり続けることはできないから。諸行無常の原則。生生流転の法則がそこにある。

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つまり物の価値の中には、時間のパラメータが潜んでいて、時間の経過によって価値のあり方が変わる性質がある。

人間にとって腐ったキャベツは食べられないけれど、ハエにとっては食べられる価値あるもの。それは食べ物でなくても同じ。テレビや携帯電話だって何百年も使えるわけじゃない。

価値は自らの内に「時間」を内包している。人間は存在の流転のなかで、そのごく一部を価値としているにすぎない。


本シリーズエントリー記事一覧
価値と貨幣について考える その1 「価値を規定するもの」
価値と貨幣について考える その2 「価値が内包する時間」 
価値と貨幣について考える その3 「価値の発見と経験」 
価値と貨幣について考える その4 「価値と値段」
価値と貨幣について考える その5 「時間を凍らせる」 
価値と貨幣について考える その6 「富の蓄積」 
価値と貨幣について考える その7 「市場が飽和するとき」
価値と貨幣について考える その8 「規制と流行」 
価値と貨幣について考える その9 「貨幣の持つ2つの機能」 
価値と貨幣について考える その10 「金利の特権」
価値と貨幣について考える その11 「ゲゼルマネー」 
価値と貨幣について考える その12 「地域通貨とスイカ」 
価値と貨幣について考える 最終回 「価値の本質」



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